日本歴史地名大系 「武茂庄」の解説 武茂庄むものしよう 栃木県:那須郡馬頭町武茂庄那珂川を西の境界とし、北を固田(かただ)庄と接する現黒羽(くろばね)町南端から馬頭町にかけての地域に展開していたと思われる。「和名抄」にみえる古代那須郡武茂(たけむ)郷が庄園化したものであろう。武茂系図(下野国誌)に「武茂庄十余郷」とあり、戦国期と推定される年未詳一〇月二五日の足利政氏書状(白川文書)に「武茂庄之事、度々被仰出候之処、于今不存其旨候」とみえる。「武茂十二郷」(康正二年四月一日「宇都宮等綱去状」同文書)とか「武茂郷」(文安四年一〇月一四日「某山城等願文」米良文書)、「武茂辺」(年月日未詳「某条書案」結城文書)とも称されていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by