段関村(読み)だんぜきむら

日本歴史地名大系 「段関村」の解説

段関村
だんぜきむら

[現在地名]鳴門市大津町段関おおつちようだんぜき

大代おおしろ村の南西にある。南は大谷おおたに川を境として中喜来なかぎらい(現松茂町)に接し、段関渡で結ばれていた。北は姫田ひめだ村。全村が低湿地でかつては入海であったが、天正一四年(一五八六)三河国の吉成忠時の後裔善太夫が来て開墾、同一七年に成功して検地を受け沖野おきの村と称したという(板野郡誌)。慶長二年(一五九七)の分限帳には沖野村とあり、八一石余が吉浦弥太郎知行分。また森甚五兵衛知行分として沖ノ野と乙瀬おとぜ(現藍住町)合せて二〇五石ほどが記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む