殿浦
とんのうら
横竹村(現鎮西町)の内、北部の岬地区で、北端は名護屋湾を隔てて加部島に相対し、岬の延長上に弁天島がある。
地名の由来については多くの説がある。中世、この地の領主呼子氏の居館があったので殿浦という説や、「肥前風土記」に記す「登望駅」は、船泊としてこの辺一帯をよび、それが鞆また大友・小友などとなり、あるいは訛りにより「とんのうら」となったという説などがある。
呼子の領主呼子美作守詮は文禄の役(一五九二)で負傷し、その帰途、横竹村で死去、その墓が後裔の呼子旭により宝暦年間(一七五一―六四)建立され、殿浦の裏山にある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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