佐賀県唐津市(からつし)鎮西(ちんぜい)町の地区。旧名護屋村。かつては「名古屋」とも書いた。壱岐(いき)水道(玄界灘(げんかいなだ))に突き出す東松浦半島の北端にある。国の特別史跡である名護屋城跡並陣跡(ならびにじんあと)は、豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮侵略の拠点として知られる。名護屋城は海抜約80メートルの勝男(かつお)岳(垣添(かきぞえ)山)に築かれた平山城(ひらやまじろ)で、中世松浦党(まつらとう)の名古屋氏が居城していた場所といわれる。深い入り江の名護屋浦を控え、壱岐・対馬(つしま)を経て朝鮮に至る最短コースの地で、秀吉の朝鮮出兵にまつわる遺跡や伝承が多い。城跡の一角には日本庭園の茶苑「海月」がつくられている。1993年(平成5)には佐賀県立名護屋城博物館が開館した。玄武岩の丘陵性台地にある岡の諸集落の生業は主として農業、海岸の浜の諸集落はおもに漁業。大漁祈願などの「盆綱ねり」は代表的な年中行事である。名護屋浦にかかる名護屋大橋には国道204号が通じ、玄海国定公園の観光コースをなす。
[川崎 茂]
佐賀県唐津市鎮西町の大字名。かつては名古屋とも書いた。東松浦半島の北端にあり,壱岐水道に面する。玄武岩性の上場(うわば)台地に深く入り込む名護屋浦には名護屋大橋が架かり,東の唐津市呼子(よぶこ)町と直結する。台地上の岡集落と海岸の浜集落とに大別され,かんきつ類などの畑作が目立つ岡に対し,浜には県内有数の名護屋漁港がある。名護屋には松浦党の名古屋氏が代々城を構えていたが,豊臣秀吉が朝鮮出兵の前線基地として名護屋城を築き,周辺一帯に諸大名が在陣した。名護屋城跡ならびに陣跡は国の特別史跡。城跡には青木月斗の〈太閤が睨みし海の霞哉〉の句碑が立ち,遠くには壱岐の島影が眺められる。名護屋城山里丸跡にある広沢(こうたく)寺は秀吉に仕えた広沢局の開基で,境内の大ソテツ(天)は加藤清正が献上したものという。秀吉在陣時に始まると伝える盆綱ねり,秀吉命日の豊公祭などの行事が行われる。
執筆者:川崎 茂
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佐賀県唐津市鎮西町にある地。東松浦(まつうら)半島にあり,名護屋浦が湾入。中世には名護屋氏が領有。1591年(天正19)から豊臣秀吉が朝鮮出兵の兵站基地として築城した。当時のようすを伝えるものに,伝狩野光信筆の「肥前名護屋城図屏風」がある。古来の朝鮮半島との交流がうかがわれ,1993年(平成5)開館の県立名護屋城博物館は朝鮮半島の国々と日本との間の歴史的変遷・交流を,両国の協力によって明らかにする,日本で唯一の博物館である。城跡は国特別史跡。
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…佐賀県北西端,東松浦郡の町。1956年名護屋・打上両村が合体,町制。人口7522(1995)。…
※「名護屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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