コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

名護屋 なごや

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

名護屋
なごや

佐賀県北部,唐津市鎮西町の中心集落。東松浦半島の北西端に位置する。旧村名。 1956年打上村と合体して鎮西町となる。玄界灘に臨む名護屋港は,湾口にある加部島が自然の防波堤をなす良港。天正 19 (1591) ~20年豊臣秀吉が近くの台地上に名護屋城を築城,ここを本営として朝鮮に出兵した。城跡および陣跡は国の特別史跡に指定されている。玄海国定公園に属する。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

名護屋【なごや】

佐賀県鎮西(ちんぜい)町(現・唐津市)の主集落。1591年豊臣秀吉が文禄・慶長の役の際本営を置いた地で,玄界灘に臨んで築かれた名護屋城の城跡・陣跡(特別史跡)がある。
→関連項目鎮西[町]

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

なごや【名護屋】

佐賀県東松浦郡鎮西町の大字名。かつては名古屋とも書いた。東松浦半島の北端にあり,壱岐水道に面する。玄武岩性の上場(うわば)台地に深く入り込む名護屋浦には名護屋大橋が架かり,東の呼子(よぶこ)町と直結する。台地上の岡集落と海岸の浜集落とに大別され,かんきつ類などの畑作が目立つ岡に対し,浜には県内有数の名護屋漁港がある。名護屋には松浦党の名古屋氏が代々城を構えていたが,豊臣秀吉が朝鮮出兵の前線基地として名護屋城を築き,周辺一帯に諸大名が在陣した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

なごや【名護屋】

佐賀県唐津市鎮西町の地名。壱岐海峡に面し、漁業の基地。中世は松浦まつら党の一族名護屋氏の拠点。名護屋城跡がある。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本の地名がわかる事典の解説

〔佐賀県〕名護屋(なごや)


佐賀県唐津(からつ)市鎮西(ちんぜい)町の中心地区。東松浦(ひがしまつうら)半島先端部に位置する。名護屋漁港があり、玄界灘(げんかいなだ)での漁業が盛ん。1592年(天正(てんしょう)20)豊臣秀吉(とよとみひでよし)が名護屋城を築城し、朝鮮出兵の基地とした。城跡と諸大名の陣跡は国特別史跡に指定されている。

出典|講談社日本の地名がわかる事典について | 情報 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

名護屋
なごや

佐賀県唐津(からつ)市鎮西(ちんぜい)町の地区。旧名護屋村。かつては「名古屋」とも書いた。壱岐(いき)水道(玄界灘(げんかいなだ))に突き出す東松浦半島の北端にある。国の特別史跡である名護屋城跡並陣跡(ならびにじんあと)は、豊臣(とよとみ)秀吉の朝鮮侵略の拠点として知られる。名護屋城は海抜約80メートルの勝男(かつお)岳(垣添(かきぞえ)山)に築かれた平山城(ひらやまじろ)で、中世松浦(まつら)党の名古屋氏が居城していた場所といわれる。深い入り江の名護屋浦を控え、壱岐・対馬(つしま)を経て朝鮮に至る最短コースの地で、秀吉の朝鮮出兵にまつわる遺跡や伝承が多い。城跡の一角には日本庭園の茶苑「海月」がつくられている。1993年(平成5)には佐賀県立名護屋城博物館が開館した。玄武岩の丘陵性台地にある岡の諸集落の生業は主として農業、海岸の浜の諸集落はおもに漁業。大漁祈願などの「盆綱ねり」は代表的な年中行事である。名護屋浦にかかる名護屋大橋には国道204号が通じ、玄海国定公園の観光コースをなす。[川崎 茂]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内の名護屋の言及

【鎮西[町]】より

…佐賀県北西端,東松浦郡の町。1956年名護屋・打上両村が合体,町制。人口7522(1995)。…

※「名護屋」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

名護屋の関連キーワード佐賀県唐津市鎮西町名護屋佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦佐賀県立名護屋城博物館ペドロ=バウチスタ中村明石清三郎名護屋播磨太夫鎮西(佐賀県)石井与次兵衛佐賀県唐津市暮松新九郎お牟須の方喜代竹新七名護屋打ち鎮西〈町〉家長彦三郎鎮西[町]喜連川国朝山本喜市兼平綱則上場台地

今日のキーワード

存亡の機

引き続き存在するかここで滅びてしまうかという非常に重大な時。存亡の秋(とき)。...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

名護屋の関連情報