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陽成天皇 ようぜいてんのう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

陽成天皇
ようぜいてんのう

[生]貞観10(868).12.16. 京都
[没]天暦3(949).9.29. 京都
第 57代の天皇 (在位 876~884) 。名,貞明。清和天皇の第1皇子。母は尊称皇太后藤原高子。貞観 18 (876) 年践祚,同 19年1月即位したが,外伯父の藤原基経が関白として政務をとった。

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デジタル大辞泉の解説

ようぜい‐てんのう〔ヤウゼイテンワウ〕【陽成天皇】

[868~949]第57代天皇。在位876~884。清和天皇の第1皇子。名は貞明(さだあきら)。清和天皇の譲位により即位したが、乱行多く、関白藤原基経により廃された。

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百科事典マイペディアの解説

陽成天皇【ようぜいてんのう】

平安前期の天皇。在位876年−884年。諱(いみな)は貞明(さだあきら)。清和天皇の第1皇子,母は藤原長良の女(むすめ),藤原基経の妹高子。876年清和天皇の譲位を受け践祚(せんそ),基経が摂政となり政治の実権を握った。
→関連項目源融

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

陽成天皇 ようぜいてんのう

869*-949 平安時代前期,第57代天皇。在位876-884。
貞観(じょうがん)10年12月16日生まれ。清和天皇の第1皇子。母は藤原高子。父の譲位により9歳で即位。母の兄で藤原良房の養子藤原基経(もとつね)が摂政となり,実権をにぎる。病弱の理由などで,17歳で譲位。天暦(てんりゃく)3年9月29日死去。82歳。墓所は神楽岡東陵(かぐらおかのひがしのみささぎ)(京都市左京区)。諱(いみな)は貞明(さだあきら)。
【格言など】筑波嶺(つくばね)の峰より落つるみなの川恋ぞ積もりて淵(ふち)となりける(「小倉百人一首」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

陽成天皇

没年:天暦3.9.29(949.10.23)
生年:貞観10(868)
平安前期の天皇。清和天皇と藤原長良の娘高子の子。諱は貞明。貞観11(869)年,わずか2歳で立太子,元慶1(877)年10歳で即位した。在位8年,病気を理由に譲位したが,宮中で殺人事件(陽成の乳母子源益 が格殺された)を引き起こしたため,藤原基経によって退位させられたというのが真相。『三代実録』には,闘犬,闘鶏を好み,内裏で馬を乗り回したり,動物をひそかに飼うなど異常な行動が記されている。「物狂帝」と伝える『今昔物語集』などの話には冷泉天皇との混同もみられる。譲位後の64年間を陽成院で過ごしたあと,後院のひとつ冷泉院に移り没した。『後撰和歌集』に収める「筑波嶺の峰より落つるみなの川恋ぞつもりて淵となりぬる」は百人一首にも採録。

(瀧浪貞子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

ようぜいてんのう【陽成天皇】

868‐949(貞観10‐天暦3)
第57代に数えられる平安前期の天皇。在位876‐884年。清和天皇の第1皇子。母は藤原長良の娘で,基経の妹にあたる高子。諱(いみな)は貞明。869年(貞観11)に皇太子に立てられ,876年清和天皇退位のあと9歳で践祚。基経は引き続き摂政として政治の実権を握り,880年(元慶4)には関白に任ぜられた。天皇は882年に元服の儀を終えたころから基経と対立するようになり,宮中での殺人事件などが原因となって884年に退位,二条院に移った。

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大辞林 第三版の解説

ようぜいてんのう【陽成天皇】

868~949) 第五七代天皇(在位876~884)。名は貞明さだあきら。清和天皇第一皇子。九歳で即位。関白藤原基経によって廃位させられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

陽成天皇
ようぜいてんのう
(868―949)

第57代天皇(在位876~884)。清和(せいわ)天皇第一皇子。母は藤原基経(もとつね)の妹高子(たかいこ)。諱(いみな)は貞明。藤原良房(よしふさ)の邸染殿第(そめどのだい)に生まれ、3か月にして皇太子となり、そのまま染殿第で育った。9歳で清和天皇の譲位を受けて即位し、基経が前代に引き続いて摂政(せっしょう)となった。しかしその後数年にして天皇は乱行多く、881年(元慶5)ころから基経と対立が続いた。883年には天皇の乳母(めのと)紀全子(きのまたこ)の産んだ源益(みなもとのみつ)を殺したり、馬を愛好して宮中でひそかに飼わしめるなどのことがあった。ここに至って天皇と基経との対立は極に達し、翌年2月天皇は自ら病気を理由に譲位した。陵墓は京都市左京区神楽岡(かぐらおか)東陵。[福井俊彦]
『目崎徳衛著『平安王朝――その実力者たち』(1965・人物往来社)』

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