日本歴史地名大系 「母ヶ浦村」の解説 母ヶ浦村ほうがうらむら 長崎県:佐世保市母ヶ浦村[現在地名]佐世保市母ヶ浦町・椎木町(しいのきちよう)相神浦(あいこのうら)村および川下(かわしも)村の南東に位置し、南西部は相浦(あいのうら)川の河口部にあたる。将冠(しようかん)岳・但馬(たじま)岳がある。江戸時代は相神浦山口(あいこのうらやまぐち)村のうちで、明暦二年(一六五六)の田方帳抜書では相神浦大里(あいこのうらおおざと)村(山口村)内に母(ほう)ヶ浦岡(うらおか)免が記される。元禄一二年(一六九九)の平戸領分郷村帳では相神浦村の新田枝村として母ヶ浦村とみえ、高一四〇石余で、ハウカウラの訓を付す。 母ヶ浦村ほうがうらむら 佐賀県:鹿島市母ヶ浦村[現在地名]鹿島市大字音成(おとなり)字母ヶ浦有明海沿いにあり、西葉浦(さえうら)村の南。正保絵図に村名がみえる。藩政時代は佐賀藩領。母ヶ浦には元禄八年(一六九五)の畠・屋敷帳、元禄一五年の田方帳も残る。この村には県重要無形民俗文化財に指定されている面浮立(めんぶりゆう)がある。音成の面浮立と対象的で、重心を落した力強い踏足を主体とする勇壮な踊で、練りものから脱皮し、神事芸能として完成されたものといわれている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by