母里藩館跡
もりはんやかたあと
[現在地名]伯太町西母里
西母里御笠の岩田にある。松江藩主松平直政の三男隆政(右近大夫)は、寛文六年(一六六六)兄綱隆が松江藩を襲封した際、一万石を分知された。当初は蔵米支給で封地はなかったが、次代直丘(美作守・志摩守)のとき、貞享元年(一六八四)に能義郡内一七ヵ村を封地とされ、同年当藩館が築造されたという(「郷土母里」など)。一七ヵ村は「雲陽大数録」によると母里村のほか十年畑村・小竹村・赤屋村・福富村・寸須高江村・日次横屋村・峠之内村・三坂村・大畑村・市中屋村・服部村・未明村・安田中村・安田宮内村・安田関村・北安田村および大塚村(現安来市)であったが、天保郷帳では清瀬村(松江藩領と相給)が加わり、三坂大畑村が一村として書上げられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 