比々沢郷(読み)ひびさわごう

日本歴史地名大系 「比々沢郷」の解説

比々沢郷
ひびさわごう

日比沢ひびさわに比定され、日比沢とも書く。弘安一一年(一二八八)四月日の比々沢真家寄進状(大福寺文書)によると、尾奈おな御厨内の「比々沢郷字中曾禰」の田地三杖が大福だいふく寺に寄進された。正応元年(一二八八)一〇月にはこの年の三月六日に焼失した大福寺本堂が再建されているが、この時の造営作業に比々沢仏土房の弟紀藤内がかかわっている(「大福寺諸堂造建記」大福寺文書)。文安六年(一四四九)に浜名神戸惣公文永りんが方涼田一反を売却した際、「ひゝさハ」の与一兵衛が確認の署判を加えている(同年三月二七日「永りん売券」同文書)。寛正二年(一四六一)一二月一二日に建立された大福寺不動堂の棟上に際しては、日々沢の右近允母が布を奉加している(「大福寺不動堂建立記」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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