気良庄(読み)けらのしよう

日本歴史地名大系 「気良庄」の解説

気良庄
けらのしよう

摂関家領・近衛家領、のちに幕府御料所となった庄園。庄域は現和良わら村、益田ました金山かなやま町の旧ひがし村、八幡町の旧西和良村・安久田あくたおよび明方みようがた村を含めた山間地域。しも保・中保・和良保・西保に分れていた。庄内地名として、金山町祖師野そしのの八幡神社蔵建武四年(一三三七)大般若経奥書に「郡上郡気良庄下保」、白鳥しろとり長滝ちようりゆう寺蔵荘厳講記録の応永一六年(一四〇九)に「気良中保」、明方奥住の蓮浄おくずみのれんじよう寺蔵明応九年(一五〇〇)方便法身像裏書に「気良庄西保」、明方村小川の浄福おがわのじようふく寺蔵文亀元年(一五〇一)同裏書に「気良庄下保小川」、明方村畑佐の西光はたさのさいこう寺蔵明応九年同像裏書に「気良庄畑佐村」などがみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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