百科事典マイペディア 「満済准后日記」の意味・わかりやすい解説
満済准后日記【まんさいじゅごうにっき】
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醍醐寺座主満済の日記で,《法身院准后日記》ともいわれる。応永18年(1411)正月および同20年から同29年までと,応永30年から永享7年(1435)までの自筆本が現存し,多少の闕失はあるが25年間にわたってほぼ首尾一貫している。満済は足利義満,義持,義教の3代将軍に親近し,護持僧として禳災祈禱に当たるとともに,事あるごとに諮問をうけ,ときには将軍と管領以下の諸大名との意志疎通の役割を果たしていたため,この日記には幕府の政治・外交の機微にわたる秘事も多い。私日記ではあるが自己の感情は抑制的で,記述は簡潔,冷厳であり,情報としての信憑性はきわめて高い。満済は当代きっての学僧,文化人でもあり,その見聞は広く,室町初期の年中行事,文化や世相を知るためにも基本的な史料である。《続群書類従》所収。
執筆者:福田 豊彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
室町時代、将軍足利義満(あしかがよしみつ)・義持(よしもち)・義教(よしのり)3代にわたって厚い信任を受けて幕政に深くかかわり、「黒衣の宰相」とよばれたこともある醍醐寺座主(だいごじざす)三宝院門跡(さんぼういんもんぜき)満済の日記。現在1411年(応永18)から22年(同29)までの11巻が国立国会図書館に、23年(同30)から没年の1435年(永享7)までの36冊が醍醐寺に収蔵されており、すべて自筆である。将軍や管領(かんれい)の交替、関東府との交渉など幕政の根本にかかわるものから、法会(ほうえ)、猿楽(さるがく)、風流(ふりゅう)など宗教、文化に関する行事を克明に記録しており、この時代の根本史料の筆頭とされるが、逆に満済個人の私的な記事が意外に少ないのが特徴である。『京都帝国大学文科大学叢書(そうしょ)』3冊、『続群書類従補遺』2冊として刊行されているほか、『大日本古文書 醍醐寺文書別集』として、その紙背(しはい)文書が刊行中である。
[笠松宏至]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…能が演ぜられたのは室町御所での観世大夫の松囃子と,禁裏,室町御所などに推参した声聞師の松囃子であった。松囃子の初出資料は《満済准后日記》の応永18年(1411)1月15日条で,その後,応永(1394‐1428)~永享期の貴顕の日記などにおびただしい資料が残されているが,応仁の乱(1467‐77)後に衰微した。ただ,御所での大名による松囃子は以前から赤松家で催されていたものを,1429年に将軍足利義教の命で御所でも行いはじめ,41年(嘉吉1)義教の死とともに取りやめたものであり,町女房の松囃子もまた義教の命によって一,二度催されたもので,いずれも一時的な催しであった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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