日本大百科全書(ニッポニカ) 「水府流太田派」の意味・わかりやすい解説
水府流太田派
すいふりゅうおおたは
現存する日本泳法の一流派。他の流派が徳川時代に武芸として藩の庇護(ひご)の下に発達してきたのに対して、水府流太田派は1878年(明治11)に元水戸藩士太田捨蔵が東京の隅田(すみだ)川に水府流太田教場を開設したときに始まる。太田は、水府流に各流派の技法を取り入れて統合し、水府流太田派と称するようになった。東京高等師範学校は水泳を必修とし水府流太田派に指導を依頼した。同校の卒業生は全国に赴任したので、同流は全国的に普及した。1898年に水府流太田派は初の対外試合を横浜在住の外国人と行っている。泳法は水府流に似ているが、独特なものもある。泳法は一重伸(ひとえのし)、二重(ふたえ)伸、大抜手(ぬきて)その他である。
[笹島恒輔]