日本泳法は古来から武芸の一つとして発達し、他にその例をみないほど数多くの泳法がある。大きく分けて平体、横体、立体の体位に基づき、それぞれの流派の発祥の水域にあった泳ぎで、各泳法の動作に目的と約束事があるのが特色である。現在、財団法人日本水泳連盟で公認されている伝統流派は、水府流、向井流、水府流太田派、観海流、能島(のじま)流、岩倉流、小池流、神伝流、水任流、山内(やまのうち)流、小堀流、神統流の12流派であるが、その起源の多くは1700年前後から1830年以前の江戸時代である。日本泳法の出現・発案は、武技的実用のため生まれたのであり、流水を横切る泳ぎ方、長距離を泳ぎきる泳ぎ方、物体を持ったり水面上で作業をするのに便利な泳ぎ方などがくふうされたものである。しかし時代が進むにつれて、実用泳法のほかに、美しく巧みに泳ぐという芸能的なものも加えられ、その形式美は日本泳法の最大の特徴として世界に冠たるものであろう。
近年、閉鎖的社会で体制化されていた各流派の泳法を、門戸を開き広く世に普及発展させるため大同合議し、1956年(昭和31)から例年8月に日本泳法大会が開催され、各種泳法競技と12流派の資格審査が行われている。このうち泳法競技は、25歳以下の男女が各流派の泳法演技を競うもので、このほか、団体、横体競泳、支重などの競技がある。資格審査は、水練証、教士、範士の公認制度があり、各位とも年齢・経験年数、泳法技術、人格とともに日本泳法の普及保存に対する貢献度など総合的な評価によって、日本水泳連盟より称号を授与される。なお、個々の流派が泳法技術の練度によって制度化している段位・各種目録などは、その流派内においては絶対的なもので、他流派のものとは対比できない。
[堀内幸雄]
日本で古くから武芸の一つとして伝えられてきた泳法。〈古流泳法〉〈古式泳法〉ともいう。水泳のほか潜水,飛込みや水馬術までも含む。また武芸として,技術とともに精神的なものも合わせた指導方法を持ち,今日まで伝承されてきた。武術としての泳法は,戦場で当然要求されるものであり,水練や水馬に関する功名話は,鎌倉時代の軍記物語に多く出てくる。しかし,泳法が武芸の一つとして研究され,水術という教習体系を整えた流派として確立されるのは,江戸時代初期からである。名称は水術のほか水芸,游泳術,泅水(しゆうすい)術などともいわれた。水術の流派も他の諸武芸同様,家元の継承,技法,心法の伝授,流の尊厳などが伝承された。また水術が武術として成立するためには,水を支配するだけでなく,水中でさまざまな武器や用具を操作したり,馬を御すことも要求された。幕末,海防問題の関心から水術が広く錬磨され,講武所でも取り上げられ,各種武術とともに習練された。明治以降,各学校や大日本武徳会でも指導普及され隆盛した。現在,伝承が認められている流派は十数流あるが,これらはいずれも江戸時代に藩の庇護を受けていた流派である。流名,発祥地は次のとおり。水府流(水戸藩),向井流(幕府,江戸),観海流(津藩),小池流,岩倉流,能島流(以上紀州藩),神伝流(松山藩,大洲藩,津山藩),水任流(高松藩),山内流(臼杵藩),小堀流(細川藩),神統流(薩摩藩)。
→水泳
執筆者:中林 信二
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