水留村
つづみむら
[現在地名]伊万里市南波多町水留
大曲村の北、標高一〇〇メートル台の丘陵地の中を徳須恵川が蛇行し、狭隘になる所で板治川・志気川を合わせ深い浸食谷をつくって北流。洪水常襲地で出水に対して排水が負けるので水が停滞、村名もこれによるものであろう。慶長絵図に「水冨村」とある。有浦家文書に元和五年(一六一九)の寺沢広高知行宛行状と寛永一二年(一六三五)の寺沢忠行知行宛行状があり、元和五年には「水冨村」、寛永一二年には「水留村」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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