永地村(読み)えいちむら

日本歴史地名大系 「永地村」の解説

永地村
えいちむら

[現在地名]袖ケ浦市永地

三黒みくろ村の北東に位置し、小櫃おびつ川支流のまつ川が流れる。天正一九年(一五九一)八月一五日の「木佐津領永地之郷」の検地帳があった(千葉県誌)。寛永八年(一六三一)知行宛行状に村名がみえ、当村一八八石余が旗本久保田(窪田)領となった。正保国絵図では高五二〇石余。享保五年(一七二〇)には旗本中村領(島村家文書)。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数六三で、旗本中村・窪田・原・大沢・林の五家領。林領分は同氏が加増により大名となったため、文政八年(一八二五)から貝淵藩(嘉永三年から請西藩)領となった(天保一一年望陀郡戸口録など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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