滝泉寺(読み)リュウセンジ

デジタル大辞泉 「滝泉寺」の意味・読み・例文・類語

りゅうせん‐じ【滝泉寺】

東京都目黒区にある天台宗の寺。山号は、泰叡山。通称目黒不動開創は大同3年(808)、開山円仁と伝える。寛永元年(1624)徳川家光諸堂を造営してのち隆盛。

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精選版 日本国語大辞典 「滝泉寺」の意味・読み・例文・類語

りゅうせん‐じ【滝泉寺】

  1. 東京都目黒区にある天台宗の寺。山号は泰叡山。大同三年(八〇八)の開創と伝えられる。開山は円仁。寛永元年(一六二四)徳川家光が再興し生順を中興開山とする。本尊は円仁自刻の不動明王像で、江戸五色不動一つ。目黒不動。

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日本歴史地名大系 「滝泉寺」の解説

滝泉寺
りゆうせんじ

[現在地名]目黒区下目黒三丁目

目黒川に支流羅漢寺らかんじ川が流れ込む合流点、台地上の突端に位置する天台宗寺院。泰叡山と号し、本尊は不動明王。古くから不動信仰の霊地として知られる。寺伝によれば大同三年(八〇八)天台座主慈覚大師円仁の開山とされ、師広智に従って比叡山へと向かう途中不動明王の夢告により建立したという。また日本武尊を不動明王に擬して創建したとも伝える。貞観二年(八六〇)清和天皇から勅額「泰叡」を与えられ、山号を泰叡山と称したという。


滝泉寺
りゆうせんじ

[現在地名]土浦市中央二丁目

補陀楽迦山観音院と号し、真言宗豊山派。本尊は十一面観音。寺伝によると開山は応永一三年(一四〇六)大岩田法泉おおいわたほうせん寺の祐尊またはその弟子興誉。初めは「滝泉寺本之地者今之勝軍木郭有土橋之地是也」(土浦城記)といわれるように、勝軍木ぬるで郭にあったが、元和五年(一六一九)藩主西尾忠永は「移滝泉寺於城東方、蓋自三之郭士小路火起而共焼滝泉寺屋梁大而火焔熾也」(同書)とあるように、滝泉寺が焼けた時に煙が城内に及んだため現在地に移した。

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百科事典マイペディア 「滝泉寺」の意味・わかりやすい解説

滝泉寺【りゅうせんじ】

通称は目黒不動。東京都目黒区下目黒にある天台宗の寺。開山は円仁。江戸初期に生順が中興。本尊の不動明王は円仁作と伝え,江戸五色不動の一つ。もと日本武尊をまつっていたとも伝える。境内独鈷(とっこ)の滝,青木昆陽由縁の甘藷(かんしょ)塚がある。
→関連項目目黒[区]

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事典・日本の観光資源 「滝泉寺」の解説

滝泉寺(第33番)

(東京都目黒区)
昭和新撰江戸三十三札所指定の観光名所。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「滝泉寺」の意味・わかりやすい解説

滝泉寺
りゅうせんじ

目黒不動

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「滝泉寺」の意味・わかりやすい解説

滝泉寺
りゅうせんじ

目黒不動」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の滝泉寺の言及

【目黒不動】より

…東京都目黒区にある天台宗の寺。正しくは泰叡山滝泉(りゆうせん)寺。808年(大同3)に,円仁が下野から比叡山に赴く途中,この地に宿って不動明王を夢見,その像を刻んで安置したのがはじまりと伝える。…

※「滝泉寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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