日本歴史地名大系 「永江村」の解説
永江村
ながえむら
[現在地名]豊田村大字永江
原初の東山道支道が通過し、谷筋道の
明徳三年(一三九二)三月付の高梨朝高言上状案(高梨文書)に「水内郡芋川庄三村長井郷庶子」等が高梨備前入道の知行分として初見。応永七年(一四〇〇)五月二七日付の小笠原長秀より市河義房への宛行状(市河文書)には「水内郡若槻新庄加佐郷庶子分
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
原初の東山道支道が通過し、谷筋道の
明徳三年(一三九二)三月付の高梨朝高言上状案(高梨文書)に「水内郡芋川庄三村長井郷庶子」等が高梨備前入道の知行分として初見。応永七年(一四〇〇)五月二七日付の小笠原長秀より市河義房への宛行状(市河文書)には「水内郡若槻新庄加佐郷庶子分
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