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出稼ぎ でかせぎ migrant labour

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

出稼ぎ
でかせぎ
migrant labour

生活の本拠地 (常住地) を離れた地域で一定期間就業したのち,その所得を本拠地にもち帰る労働形態,またはその労働者。本拠地で就労機会が制約されるために生じた余剰労働力が,家計維持のため労働需要地に向うことによって出稼ぎは成立する。

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デジタル大辞泉の解説

で‐かせぎ【出稼ぎ】

[名](スル)ある期間、家を離れ、よその土地や国に行って働くこと。また、その人。「農閑期に出稼ぎする」「出稼ぎ外国人労働者

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百科事典マイペディアの解説

出稼ぎ【でかせぎ】

居住地を一定期間だけ離れ就労すること。日本の場合は多く農漁村から大都市や企業中心地域へ出て行き就労することをさし,長く日本の労働問題社会問題の特質とされた。農漁村における季節による労働の繁閑,都市における単純労働者の必要性が背景にあり,都市での労働の多くは季節労働不安定雇用である。
→関連項目季節労働

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世界大百科事典 第2版の解説

でかせぎ【出稼ぎ】

生活の本拠をおいている地域(居住地)を一時的・季節的に離れて,他の地域で一定の期間就労する形態をいい,その就労者を季節労働者という。一家の離村ではなく単身または世帯員の一部の者の移動であること,そして,就労先で得た収入は家計と密接な関係があること,なども出稼ぎの特徴である。現在,出稼ぎとは〈1ヵ月以上1年未満居住地を離れ他に雇われて就労するものであって,その就労期間経過後は居住地に帰るもの〉と考えることが多い。

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大辞林 第三版の解説

でかせぎ【出稼ぎ】

( 名 ) スル
家を離れて一定期間他の地方や国で働くこと。多く農業従事者の季節労働をいう。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

出稼ぎ
でかせぎ

農民などが一定期間居住地を離れて働き、就労期間経過後は居住地に帰る形態をいい、挙家離村や通勤兼業とは区別する。日本の出稼ぎは第二次世界大戦前から多様な形態がみられる。こうしたことから戦前日本の賃労働者の性格を「出稼ぎ型」とする大河内一男(おおこうちかずお)の見解が生まれた。[伍賀一道]

農業政策と出稼ぎ

第二次世界大戦後、高度成長過程で農民層分解は急速に進み、出稼ぎも増加したが、これは戦前の出稼ぎとは性格を異にする。農業センサスによれば、1960年(昭和35)から1975年にかけて、農業専業従事者は1310万人から657万人へ減少したのに対し、兼業従事者は637万人から867万人へと増加した。このうち出稼ぎ形態の兼業従事者は1960年から1965年にかけて18万人から55万人へ急増したが、その後減少に向かい、兼業形態は出稼ぎから臨時・日雇い形態へ、さらに恒常的勤務形態へ移った。
 出稼ぎ農家が高度成長期に増大した要因として、政府の農業政策の果たした役割は大きい。それは、日本の産業構造を新鋭重化学工業へ転換する政策や地域開発政策と密接な関連をもちながら進められ、資本蓄積を進める大企業のために安価な農家労働力を提供した。農業基本法(昭和36年法律第127号)に基づく農政によって農業機械化は急速に進み、農業労働時間は短縮される一方、低農産物価格政策や資本による農業収奪(化学肥料や農業用機械などの工業製品と農産物との間の不等価交換など)によって農業所得が低迷した。そのため農民は農業経営費と家計費高騰の圧力を受けて農業外の兼業就労を余儀なくされ、農村周辺に就労機会が少ない地域では、働き口を求めて出稼ぎに出ざるをえなくなった。
 高度成長期を通して出稼ぎが多い地域としては東北地方が他を圧倒しており(1963年当時で全国の49.3%)、これに北陸(14.1%)、九州(10.1%)が続いていた。これらの地域は他地域と比べ地域内に雇用機会が乏しく、地域労働市場の形成が弱いという共通の特徴があった。出稼ぎ者のうち9割以上が男子で、その大部分が世帯主ないし後継ぎ層である。彼らの就労先は大都市に集中しており、農林省(現農林水産省)の「出稼ぎ調査結果報告」(1971)によると、京浜地帯に出稼ぎ者全体の47.4%、京阪神地帯に15.8%が就労していた。出稼ぎ先の産業は建設業が圧倒的に多く、これに製造業が続いていた。
 これら出稼ぎ労働者の労働条件は、賃金から社会保障に至る全般にわたって一般の常用労働者と比較し劣悪で、賃金不払いなどの事故も発生した。さらに高速道路やトンネル、ダム工事などでは出稼ぎ労働者が労働災害や塵肺(じんぱい)症などの職業病の犠牲になるケースが後を絶たなかった。だが出稼ぎ者の多くは出稼ぎ先での収入を高めることに専念し、その収入の大部分を家族のもとに送金し、家族の生活や農家経営の資金に充当していた。出稼ぎの恒常化は農村に残された家族にも深刻な影響を与えている。農業や家事の両面の中心になっている主婦には心身ともに重圧がかかり、農夫症などの健康障害を引き起こす一方、子供たちの教育面に与える影響も大きかった。[伍賀一道]

低成長経済と出稼ぎ

高度成長期の前半に急増した出稼ぎは1960年代後半には減少傾向を示していたが、1970年代から1990年代にかけて減少のテンポをさらに速めた。農林水産省「農家就業動向調査」(後に「農業構造動態調査」と改称)によれば、農家からの出稼ぎ者数は、1973年30.3万人、1980年13.3万人、1990年(平成2)5.9万人、1993年には4.1万人にまで減少した。厚生労働省は出稼ぎ労働者を農家世帯員に限定しないで、「1か月以上1年未満居住地を離れて他に雇用されて就労する者で、その就労期間経過後は居住地に帰る者」と定義して調査しているが、これによれば出稼ぎ労働者は1971~1972年の約55万人をピークに年を追って減少している(1983年約29万人、1998年約11万人、2002年約5万人)。
 このように出稼ぎが急減した理由としては、1970年代なかば以降の低成長経済下の雇用調整によって製造業の出稼ぎ先企業で人員整理が進んだこと、建設工事が停滞したこと、出稼ぎ者の高齢化が進んだことなどがあげられる。出稼ぎの地域別分布は高度成長期と同様、東北地方がもっとも多いが、北陸・九州地方は大幅に減少した。厚生労働省「出稼労働者雇用等実態調査」(2005)によれば出稼労働者を雇用している事業所の産業別構成は建設業が73.2%に対し、製造業は18.2%である。事業所規模別構成では30人未満の小零細事業所が7割を占めている。なお、同調査はこれ以降廃止された。
 離職時の失業給付について、かつての失業保険法では出稼ぎ者にも一般労働者と同様の適用が行われていたが、雇用保険法(昭和49年法律第116号)に転換して以降は、離職時に短期雇用特例被保険者に対する特例一時金(失業給付の日額の50日分)が支給されるだけとなった。
 21世紀に入ったころより、北海道や東北、沖縄など地元に就職機会の少ない地域から、人材仲介業者を通して派遣労働者や請負労働者として、3か月~半年間の短期雇用契約で関東、東海、関西地域の工場などで働く人々が増えており、現代の新たな出稼ぎといえよう。派遣先企業の雇用調整弁として活用されているため、概して雇用は不安定である。2008年末から2009年初めにかけて社会的に注目された「年越し派遣村」に救済を求めた人々のなかにはこのような出稼ぎ労働者も含まれていた。
 外国における出稼ぎの例としては、イタリアやギリシア、スペインからフランスやスイスへ、アイルランドからイギリスへ出かけて、春から冬にかけて農業や建設業などで働く出稼ぎ労働者(外国人労働者)が有名であった。
 1990年代以降、日本に出稼ぎにくる外国人労働者が増加しているが、この場合は季節的就労ではなく、数年にわたるケースが多い。フィリピン、タイ、パキスタンなどのアジア諸国では、1970年代以降、政府が支援して海外への出稼ぎを奨励してきた。出稼ぎ労働者の本国への送金はこれらの国にとって有力な外貨の獲得手段である。当初、石油価格の高騰で活況を呈した中東諸国への出稼ぎが主流を占めたが、1980年代に入ると石油価格の低迷・下落によって中東諸国での労働力需要が減退したため、おもな出稼ぎ先は日本に移った。1980年代末のバブル経済によって労働力不足が生じたこと、1990年代に円高が進んだことが、日本を目ざす外国人出稼ぎ労働者を増加させた。日本政府は、単純職種への外国人労働者の就労を入管法(出入国管理及び難民認定法)によって禁止しているため、正規の就労ビザを所有しないで就労している資格外就労の外国人労働者も多い。さらに、中南米(ブラジルやペルーなど)から日本にくる日系人の出稼ぎ労働者も増加している。日系人とその家族については、日本政府は職種を問わずその就労を認めている。資格外就労を含む外国人出稼ぎ労働者の数を正確に把握することは困難であるが、厚生労働省の推計では2006年の時点で約92万人に上っている。[伍賀一道]

民俗

出稼ぎは近代産業が発達する以前から一般的に行われ、その歴史は古く、また出稼ぎの様相は各時代によって変容し、複雑化しているが、大別すれば副業的出稼ぎと専業的出稼ぎとに分けられる。
 副業的出稼ぎというのは、おもに農業を主業としながら農繁期以外に出稼ぎをするもので、これには冬場奉公人などといわれて冬季に都市の家事雑役に従事するたぐいと、職人や行商人として出稼ぎをするたぐいなどがある。冬場奉公人のたぐいは典型的な出稼ぎのあり方で、江戸時代の都市の発達による労働市場の拡大と相関して始まった。生産基盤の乏しい山村や雪国からの出稼ぎで、たとえば「丹波(たんば)百日」といい丹波から大坂周辺の船場(せんば)への百日奉公、江戸へ半期奉公に出た「信濃(しなの)者」、越後(えちご)からの米搗(つ)き、酒男などがあった。職人や行商人としての出稼ぎには杜氏(とうじ)、屋根屋、漆掻(か)き、薬売り、茶売りなど各種がある。杜氏は丹波や越後、屋根屋は会津が有名で、その技術は村人に伝統的に継承され、需要者とは継続した関係にある場合が多い。行商では富山・奈良・滋賀・香川・岡山の薬売り、新潟の毒消し売り、兵庫の但馬(たじま)地方の茶売りなどがある。以上の副業的出稼ぎは、労働機会が乏しい地方では家計維持の一般的方法として行われ、いずれも労働内容は主業とは異なる職種につくのが特色である。冬場奉公と職人・行商人とでは、後者のほうが出稼ぎ組織や収入面でより安定しており、なかには専業的出稼ぎへと転じている場合もある。副業的出稼ぎにはこれらのほかに、田植、代(しろ)掻き、茶摘み、養蚕、藺(い)草刈りといった農作業につく場合もある。土地によって各作業時期がすこしずつずれていることによっており、短期間に集中して行われる。たとえば茨城の鹿島(かしま)地方からは鹿島女といって女が近隣地方へ田植の出稼ぎに出かけ、香川からは岡山へ藺草刈りに多くの人が行くなど各地にみられる。
 専業的出稼ぎは、先述の職人や行商人がこれを主業にした場合や、林業、漁業にみられる。出稼ぎ期間は通年など長期の場合が多く、いわば主業を場所をかえながら行うという形である。たとえば漁業では、江戸時代の関西漁民の関東への進出、明治時代以降の北海漁場の開発、動力漁船による遠洋漁業などがこれにあたる。[小川直之]
『『明治大正史世相篇』(『定本柳田国男集24』所収・1970・筑摩書房) ▽草野比佐男著『村の女は眠れない』(1974・光和堂) ▽嶋祐三著『出稼ぎと教育』(1974・民衆社) ▽渡辺栄・羽田新著『出稼ぎ労働と農村の生活』(1977・東京大学出版会) ▽山下雄三著『出稼ぎの社会学』(1978・国書刊行会) ▽野添憲治著『出稼ぎ』新版(1978・三省堂) ▽大川健嗣著『出稼ぎの経済学』精選復刻(紀伊國屋新書)』

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