朝日日本歴史人物事典 「永田隆三郎」の解説
永田隆三郎
生年:生年不詳
肥後国(熊本県)天領の天草郡栖本組古江村の庄屋で弘化4(1847)年一揆の指導者。第3次「相続方仕法」(流質地などの請戻し仕法)に対する不満から,当地で銀主とよばれる高利貸兼地主宅を打ちこわす。永田以下38人が入牢となった。<参考文献>『天草郡騒立一件』(『編年百姓一揆史料集成』17巻),松田唯雄『天草富岡懐古録』『天草近代年譜』,鶴田八洲成「天草法界平等一揆」(百姓一揆研究会編『天保期の人民闘争と社会変革』下),宮崎克則「近世中・後期における幕領肥後天草地方の社会情勢」(『九州史学』81号)
(宮崎克則)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報