永雲寺(読み)えいうんじ

日本歴史地名大系 「永雲寺」の解説

永雲寺
えいうんじ

[現在地名]福山市住吉町

福徳さいわい町の東端に位置し、水野時代福山城下地図をみると、はま(入江)のそばの住吉神社・五穀ごこく神社裏手に描かれる。福徳町より永雲寺小路を通って参詣した。桃林山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊釈迦如来。天正年中(一五七三―九二)神辺かんなべ(現深安郡神辺町)に秀山によって草創され、寛永年中(一六二四―四四)宙堂が現在地に移したと伝えられている。

「備陽六郡志」に「第二世封山和尚住職の時、河内国より浄因といへる隠遁者来て逗留しけるか、もとは大工にて国々の伽藍一見の為に剃髪しけるなり」とあり、浄因が永雲寺の諸堂建立を願出たが、封山は「いま如斯繁栄するといへとも、百年の後難計、其上造畢の簡なるは我祖の教なり」と許さなかった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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