日本歴史地名大系 「福山城下」の解説
福山城下
ふくやまじようか
- 広島県:福山市
- 福山城下
〔城下の建設〕
水野勝成は海路鞆に上陸して福島氏時代の城代大崎玄蕃の居館に入り、次いで神辺城に居城。しかし南北朝時代以後備後南部の政治的中心であった神辺城の軍事的重要度はしだいに減じており、また鞆城は山陽道に遠く、水野氏入封の目的にも照らし、水陸の軍事的要地に新しく城を築く必要があった。こうして福山城下町は、まったく新しい計画に基づき、福山城の築城とともに始まる。三つの候補地があったといわれるが、結局芦田川の沖積平野で、かつて海中の小島であった孤丘常興寺山に平山城を築き、その周辺ならびに南側の海岸を埋めて城下町を形成した。
元和五年の冬、勝成は常興寺山麓の
城下町は、まず城の東・南・西に町地の三倍の広さをもつ侍屋敷を配し(東町・西町と通称)、町地は城の東側、東町との間とし、入江を中心に南北二七町に分け、侍屋敷がそれを囲むようにした。保護と同時に監視をも兼ねた町割である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報