江古田村(読み)えごたむら

日本歴史地名大系 「江古田村」の解説

江古田村
えごたむら

[現在地名]中野区江古田一―四丁目・江原町えはらちよう一―三丁目・松が丘まつがおか一―二丁目・沼袋ぬまぶくろ二丁目・同四丁目・丸山まるやま一―二丁目・野方のがた四丁目など

豊島郡境にある村。南は下沼袋村・片山かたやま村、北は江古田新田村(現練馬区)。北と東が豊島郡へ突き出る形の東西に長い村である。

関東管領山内上杉氏の家臣長尾景春が文明九年(一四七七)正月に反乱を起こし、武蔵国の豪族豊島氏がこれに同調した。太田道灌らは豊島泰明の居城平塚ひらつか(現北区)を攻めた。「鎌倉大草紙」には「太田道灌、上杉刑部少輔、千葉自胤已下、江古田原、沼袋と云所に馳向ひ」と記される。四月一三日のこの戦いで石神井しやくじい城・練馬城(現練馬区)の兵を率いて泰明の兄泰経が打って出て、江古田原で道灌らと激戦を交えている(一一月二八日「太田道灌書状写」松平文庫所蔵文書)。この合戦で豊島方は泰明ら多くの戦死者を出し、敗北した(鎌倉大草紙・北条九代記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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