改訂新版 世界大百科事典 「豊島氏」の意味・わかりやすい解説
豊島氏 (てしまうじ)
〈としまうじ〉ともいう。中世武士団の名で,関東と関西にそれぞれ存在した。前者は平姓秩父流から出て,武蔵国豊島郡東部(現,東京都台東,文京,北,荒川各区にまたがる一帯)を根拠地として発展した武士団で,姓は豊島郡に由来。武士としての規模は一郡を領する中規模のものであるが,系図によれば11世紀半ば秩父武常が豊島郡を開発して豊島次郎と名のったのに始まり,代々源氏に仕え,頼朝の創業時には清光,朝経,有経らが功を立てた。鎌倉時代に根拠地を西部(現,豊島,練馬両区)に移し,南北朝期には北朝方に従うことが多かったが,泰経の代の1477年(文明9)太田道灌に敗れて没落し,子孫は後北条氏に仕えて生きのびた。
一方,関西の豊島氏は清和源氏から出て,摂津国豊島郡(現,大阪府池田市,箕面市,豊中市の一帯)に住した武士団で,この姓の由来も本貫地名による。手島氏とも書き,まとまって家系のわかるものに2種類あり,いずれも小規模な武士である。すなわち,ひとつは多田流に属し鎌倉時代初期のころ源三位頼政の甥範資が手島と号したのに始まり,1333年(元弘3)の合戦で仁木氏に同地を領せられるまで続いた。今ひとつは宇野流で同じく鎌倉初期に親弘が同地に住して豊島権守と称したのに始まり,その子基弘・親満の代に2流に分かれて,それぞれ南北朝期ごろまで栄えたことが確認される。このほかにも同地にかかわる源氏で豊島を号するものは,多田蔵人行綱の弟隆頼(手島冠者)などいくつか見いだされるが,独自の家系を生み出したか否かは不明。
執筆者:義江 彰夫
豊島氏 (としまうじ)
武蔵国豊島郡一帯を本拠とした中世武家。桓武平氏の一流秩父氏のうち豊島郡に進出した武常の一族が,武常の曾孫豊島権守清光の子の代に豊島・葛西両氏に分流。短期間ではあるが土佐国守護の地位にあり,1203年(建仁3)比叡山堂衆との戦闘で討死した朝経が豊島氏を称した。朝経の嫡男朝綱の子時光は,41年(仁治2)豊島荘犬喰名をばくちの賭物としたとがでこれを収公された。その後は鎌倉初期に紀伊国守護,同国三上荘地頭であった有経(朝綱の弟)の系統が発展し,石神井郷を拠点にその勢力を拡大,同族宮城氏から養子をとるなどして家系を維持しつつ,南北朝の動乱とそれに続く上杉禅秀の乱,永享の乱,享徳の乱を乗り切った。しかし1476年(文明8)関東管領山内上杉氏の家宰長尾氏の跡目争いに端を発する長尾景春の乱で,景春側にくみした豊島泰経らが江古田・沼袋合戦で太田道灌に敗れ,拠城も次々に失って没落した。
執筆者:外岡 慎一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報