江森村
えもりむら
[現在地名]江南市江森
山尻村の南にあり、斉藤長池と江森池の間にあった。天保村絵図には池は見られず、「池後成瀬様御控」とある。年代不詳の下間頼廉奉本願寺御印書(善行寺文書)に「エモリ」とみえるが、当村か葉栗郡江森村(現一宮市)かは不明。天正末には織田信雄の家臣平野万千世の知行地があった(織田信雄分限帳)。
江森村
えもりむら
[現在地名]一宮市浅井町江森
東には西海戸村、北は大日比野村に接する。天保村絵図の概高二六八石余のうち、二三六石余は藩士七人の給知、蔵入地は三二石余と見取場二町一反余、田四町六反余・畑一八町五反余で畑がちの村。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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