江南市(読み)コウナンシ

デジタル大辞泉 「江南市」の意味・読み・例文・類語

こうなん‐し〔カウナン‐〕【江南市】

江南

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「江南市」の解説

江南市
こうなんし

面積:三〇・八六平方キロ

県北西部、旧丹羽郡内の中央北部と旧葉栗郡内の北東にあたる。北辺は木曾川を隔てて岐阜県に対する。木曾川が形成した扇状地の先に広がる自然堤防帯の平坦地。昭和二九年(一九五四)四ヵ町村が対等合併をし市制施行のとき、木曾川の雅名蘇江の南という意味で「江南」と名付けられた。

〔原始〕

縄文中・晩期の遺物が両高屋りようだかや地内から少量出土。弥生時代の遺物も少ない。古墳は中期の前方後円墳曾本二子山そもとふたごやま古墳のほかはあまり知られない。

〔古代・中世〕

奈良時代の寺院跡に村久野の音楽むらくののおんがく寺があり、周辺から同時代の遺物が出土する。「和名抄」によれば丹羽郡に一二郷、葉栗郡に五郷が存在する。市域に関係あるものをあげると、大桑おおくわ郷は「大日本地名辞書」によれば古知野こちのから西方一帯、現一宮市瀬部せべを含む地域とする。「明治十五年愛知県郡町村字名調」にみえる山尻やまじり村の小字大桑をその一部とすれば、市域の蓋然性は高い。稲木いなき郷は「大日本地名辞書」「日本地理志料」ともに、ほぼ市域の南東部にあてる。平安時代末に丹羽郡司良峯高光が長講堂領として寄進した稲木庄が稲木郷を中心に立荘されたものとすれば、市域の南東部を中心とする地域になる。寄木よりき村には「延喜式」神名帳記載の稲木いなぎ神社もある。上春かみはる郷は「尾張志」が上奈良かみならにあてており、「日本地理志料」は市域の中央部から南西部の一帯とみなしている。葉栗郡の村国むらくに郷は市域の村久野むらくのを中心とする地域と推定され、村国の転訛とされている。

当市に関係ある伊勢神宮領は嘉承三年(一一〇八)の注文にみえる外宮領高屋たかや御厨がある(「二所太神宮領注進状写」神宮文庫蔵)。荘園には承安元年(一一七一)から建保四年(一二一六)に郡司であった良峯高光が稲木庄と号し、長講堂に寄進した(良峯氏系図)。市域の安良やすらなど一七ヵ郷を中核とし、その周辺の原野を含む広大な地域にまたがるものであった(「長講堂領・法金剛院領・熱田社領・播磨国衙別納目録写」京都御所東山御文庫記録)村久野庄は市域の北西部一帯を占め、嘉元四年(一三〇六)以前から九条大納言入道が領家の荘園であった(「昭慶門院御領目録」竹内文平氏所蔵文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「江南市」の意味・わかりやすい解説

江南〔市〕
こうなん

愛知県北西部,木曾川南岸にある市。 1954年布袋,古知野,宮田の3町と草井村が合体して市制。犬山扇状地の扇端部に位置し,明治中期以後,養蚕・絹織物工業が発達。第2次世界大戦後は化学繊維織物工業に転じ,カーテン地などの室内装飾用織物,服地などを多産。名古屋鉄道犬山線が通じ,名神高速道路小牧インターチェンジに近く,機械製造業を主体とする内陸工業地も形成された。江南住宅団地などもでき,宅地化が進んでいる。農村部ではサトイモ,ダイコンや果樹栽培も盛ん。市街地西部の前飛保にある曼陀羅寺は後醍醐天皇の勅願寺で正堂・書院などは重要文化財。宮後八幡社本殿は寛永1 (1624) 年造営の県文化財。木曾川堤のサクラは名勝で,天然記念物に指定されている。面積 30.20km2。人口 9万8255(2020)。

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