池田瑞仙(読み)イケダズイセン

デジタル大辞泉 「池田瑞仙」の意味・読み・例文・類語

いけだ‐ずいせん【池田瑞仙】

[1734~1816]江戸後期幕府医師。周防すおう岩国の人。和蘭オランダ外科を修め、痘瘡とうそう流行に際してその治療で名を挙げた。著「痘科弁要」「痘診戒草」など。

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朝日日本歴史人物事典 「池田瑞仙」の解説

池田瑞仙(初代)

没年:文化13.9.6(1816.10.26)
生年:享保20.5.22(1735.7.12)
江戸中期の医者。周防国(山口県)玖珂郡通津村生まれ。名は独美,字は善卿,錦橋と号した。曾祖父池田正直は岩国に滞在した明人戴曼公(独立)より治痘法を学んだ。瑞仙は早くに父を失い,母に育てられて成長し,父の弟の槙本坊詮応に句読を受け,岩国藩医桑原玄忠に医学特に痘科を学んだ。しかるに岩国藩は痘瘡への禁制が厳重で,罹患者は郊外に隔離する風習があって患者が多発せず,かえってその医術実地に試みることが困難であった。宝暦12(1762)年母と共に移った安芸国厳島で痘瘡が流行,その法を施して大いに効があった。のち大坂,京都で名声を得て,寛政9(1797)年1月江戸幕府に出仕。幕府は医学館に痘科を新設し,瑞仙を医官に任じて書を講じさせた。酒を好み,晩年は蟾翁と号し,好んでガマの自画像を描いた。正妻には子がなく,養子の霧渓が業を継いで瑞仙を襲名,幕府医官となった。また妾腹に1男2女があり,そのうちの瑞英は別家を立て,諸国を遊歴して治痘に努めた。<著作>『痘疹戒草』『新刊痘科鍵』『痘科鍵冊正補注』<参考文献>田中助一『防長医学史』,富士川游『日本医学史』

(田中助一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「池田瑞仙」の意味・わかりやすい解説

池田瑞仙
いけだずいせん

[生]享保19(1734)
[没]文化13(1816)
江戸時代後期の痘科医。周防岩国の人。名は独美,字は善卿,号は錦橋。曾祖正直が明の戴曼公から痘科の秘術を学んで代々これを受継いだ。安永6 (1777) 年,痘瘡が流行したときに瑞仙は伝来の秘術を用いて治療を行い,顕著な効果をあげた。その後,痘瘡の研究に専念,寛政9 (97) 年に幕府の医官となり,初めて医学館で痘科を教えた。主著は『痘科辨要』『痘科鍵刪正』。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田瑞仙」の解説

池田瑞仙(初代) いけだ-ずいせん

池田独美(いけだ-どくび)

池田瑞仙(2代) いけだ-ずいせん

池田霧渓(いけだ-むけい)

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367日誕生日大事典 「池田瑞仙」の解説

池田瑞仙(初代) (いけだずいせん)

生年月日:1735年5月22日
江戸時代中期;後期の痘科医;幕府医師
1816年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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