…まず,小堀正次は関ヶ原の戦では徳川氏に仕えたので,旧知行のほか備中国内で1万石加増され,備中代官として松山城に入って国務を沙汰することになり,その子政一(遠州)も備中代官として松山に在城したことがある。ついで鳥取城主池田長幸が1617年(元和3),6万5000石を領して松山に入城して松山藩を立藩した。その後,水谷(みずのや)氏(5万石),安藤氏(6.5万石),石川氏(6万石)を経て,1744年(延享1)以降は板倉氏(5万石)が襲封し,維新時の藩主勝静(かつきよ)は老中の一人として活躍した。…
※「池田長幸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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