池田長幸(読み)いけだ ながよし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池田長幸」の解説

池田長幸 いけだ-ながよし

1587-1632 江戸時代前期の大名
天正(てんしょう)15年生まれ。池田長吉(ながよし)の長男。慶長19年因幡(いなば)鳥取藩主池田家2代。大坂夏の陣で従兄池田利隆の軍に属して功をたてた。元和(げんな)3年備中(びっちゅう)(岡山県)松山藩主池田家初代となる。6万5000石。寛永9年4月7日死去。46歳。大坂出身。名は「ながゆき」ともよむ。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の池田長幸の言及

【備中国】より

…まず,小堀正次は関ヶ原の戦では徳川氏に仕えたので,旧知行のほか備中国内で1万石加増され,備中代官として松山城に入って国務を沙汰することになり,その子政一(遠州)も備中代官として松山に在城したことがある。ついで鳥取城主池田長幸が1617年(元和3),6万5000石を領して松山に入城して松山藩を立藩した。その後,水谷(みずのや)氏(5万石),安藤氏(6.5万石),石川氏(6万石)を経て,1744年(延享1)以降は板倉氏(5万石)が襲封し,維新時の藩主勝静(かつきよ)は老中の一人として活躍した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」