第266代ローマ教皇(ローマ法王)。「フランシスコ1世」とも表記される。1936年12月17日、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。本名、ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ(Jorge Mario Bergoglio)。中流の労働階級の家に生まれ、ブエノスアイレス大学に進学、化学の学士号を得て卒業。58年、キリスト教・カトリック教会の男子修道会「イエズス会」に入り修練を始め、69年、32歳の時に司祭に叙階され聖職者となった。76年~81年、3万人とも言われる犠牲者を出したアルゼンチンの「汚い戦争」(軍事政権による市民弾圧)のおり軍事政権側に協力的だったとの説もあるが、97年にはブエノスアイレスの大司教に就任。2001年、2代前のヨハネ・パウロ2世から、法王に次ぐ地位の枢機卿に任命された。一貫して故国で活動していたが、13年3月14日未明(日本時間)、コンクラーヴェ(教皇選挙)によりローマ教皇に選出された。自らつけた教皇名は、平和や摂理の象徴とされた12世紀の現イタリアの聖フランチェスコに由来する。史上初のアメリカ大陸出身のローマ教皇であり、また史上初のイエズス会出身の教皇となった。
[生]1541.3.25. フィレンツェ [没]1587.10.19./1587.10.20. ポッジョアカイアーノ 第2代トスカナ大公(在位 1574~87)。本名 Francesco de' Medici。父コジモ1世を継いで 1574年大公となった。リボルノ港の開発,海軍の増強を推進し,芸術家を庇護したことでも著名。またビアンカ・カペロという女性との恋に熱中し,妻が死んだあとカペロと結婚したが,2人ともマラリアで死亡,暗殺説も生じた。(→メディチ家)