日本大百科全書(ニッポニカ) 「汪琬」の意味・わかりやすい解説
汪琬
おうえん
(1624―1690)
中国、清(しん)代の文人。字(あざな)は苕文(ちょうぶん)、号は鈍庵(どんあん)、堯峯(ぎょうほう)、玉遮山樵(ぎょくしゃさんしょう)。江蘇(こうそ)省長洲(蘇州市)の人。1655年(順治12)の進士。戸部(こぶ)主事、刑部郎中を経て、70年に引退し郷里の堯峯山に隠居したが、79年推されて博学鴻詞科(こうしか)を受けて合格、翰林院(かんりんいん)編修を拝して『明史(みんし)』編纂(へんさん)に従事した。清初の唐宋八家文を鼓吹した一派の人として知られ、欧陽修(おうようしゅう)、帰有光(きゆうこう)を尊んだ。また経学に造詣(ぞうけい)が深く、経書臭の強いその文は「儒者の文」と評されている。生前に自作をまとめて『鈍翁類稿』62巻、『鈍翁続稿』56巻があり、さらに精選して『堯峯文鈔(しょう)』50巻とした。
[佐藤 保]