唐宋八家文(読み)とうそうはっかぶん(その他表記)Táng Sòng bā jiā wén

改訂新版 世界大百科事典 「唐宋八家文」の意味・わかりやすい解説

唐宋八家文 (とうそうはっかぶん)
Táng Sòng bā jiā wén

中国,唐宋の古文の名文集の書名。普通は清の乾隆期の詩文作家,沈徳潜(しんとくせん)の編集した《唐宋八家文読本》を指す。正しくは《唐宋八大家文読本》といい,全30巻から成る。しかしこの沈徳潜本の成立までに明の茅坤(ぼうこん)の《唐宋八大家文鈔》と清の儲欣(ちよきん)の《唐宋十大家全集録》があり,しだいに《読本》の唐の韓愈,柳宗元,宋の欧陽修,蘇洵(そじゆん),蘇軾(そしよく)(東坡),蘇轍(そてつ),曾鞏(そうきよう),王安石に定着したのである。沈徳潜は同書の序文でも唐宋文から漢代の文章である漢文にさかのぼるべきであると主張している点でもわかるように,明の古文辞派の〈文は秦漢〉のスローガンにも,ある程度の同情を寄せている格調派の指導者である。この点,明の唐宋派の茅坤が六朝を通じて衰弱した六芸の旨を復興した韓愈の精神を継承しようとする意図と必ずしも同じではない。

 沈徳潜本はもともとは彼自身の古文学習のための心覚え的な名作選であったものに,60歳代に至りようやく進士合格する前後に再び手を加えて発表した。もしも,沈徳潜の文名が高くならなかったならば,そのまま筐底埋もれ,〈簡にして明,以て世に問う可し〉の機会がなかったに違いない。《読本》が世にひろく行われたのは,この〈簡にして明〉の内容とともに,文壇での格調派の指導者,晩年における乾隆帝の側近として,編集,侍読をへて礼部侍郎にまで進んだ実績が大きく影響しただろう。道徳的,儒教的文学観に立つ韓愈とその古文運動上の同志であり,政治的にはやや革新的な柳宗元,韓愈を祖述するとともに宋代のより説明的・分析的な古文の確立者としての欧陽修,その門下の蘇氏父子,なかでも豪放な蘇軾,もっとも質実な作風の曾鞏,政治家として著名な王安石の代表作を網羅する。日本でも1814年(文化11)幕府の最高教育機関の昌平黌で初めて翻刻されて以来,頼山陽増評本をはじめ多くの注釈本が出た。中国では作文の教科書,日本では名文集として愛読された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「唐宋八家文」の意味・わかりやすい解説

唐宋八家文
とうそうはっかぶん
Tang-song bajia-wen

中国の散文選集。正しくは『唐宋八家文読本』。清の沈徳潜 (しんとくせん) の編。 30巻。乾隆4 (1739) 年成立。唐,宋2代の散文作家,韓愈柳宗元欧陽修蘇洵 (そじゅん) ,蘇軾 (そしょく) ,蘇轍 (そてつ) ,曾鞏 (そうきょう) ,王安石ら8人の散文を選び集めたもの。この8人を総称して「唐宋八大家」と呼び,彼らの文章を古文の模範として選集を編む試みは,明の茅坤 (ぼうこん) の『唐宋八大家文鈔』 (164巻) をはじめ早くから行われた。本書はそれらからさらに精選し,各編に主意,大意,諸家の評釈を付して初学者にも便利なように編集したもので,古文の教科書として広く流布し,単に「唐宋八家文」といえば本書をさすほど一般化した。日本にも江戸時代に伝わり,頼山陽がさらに評釈を加えるなど,多くの復刻本,注釈書が出されて流行し,現在でも用いられている。

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