沖野節三(読み)オキノ セツゾウ

20世紀日本人名事典 「沖野節三」の解説

沖野 節三
オキノ セツゾウ

昭和期の歯科医学者 日本大学名誉教授。



生年
明治37(1904)年6月1日

没年
昭和51(1976)年2月24日

出生地
和歌山県

学歴〔年〕
東洋歯科医学校〔大正7年〕卒,チューリヒ大学歯学部〔昭和4年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔昭和9年〕

経歴
大正14年日本大学専門部教授となり、スイス留学を終えて昭和6年帰国、九州歯科医学専門学校教授兼付属医院院長、9年医学博士、13年日本大学専門部歯科教授、20年歯科教育審議会委員、同年10月日本大学歯学部教授(補綴学)、24年日本歯科医師会専務理事、26年歯科医師国家試験委員試験部会長、30年第6回日本歯科医学会総会会長、第1回アジア歯科医学会会長、32年第7回日本歯科医学会総会会長などを歴任、47年名誉教授。咬交器など歯科器機の開発に貢献した。著書に「有床補綴学(理論編)」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「沖野節三」の解説

沖野節三 おきの-せつぞう

1897-1976 昭和時代の歯科医学者。
明治30年6月1日生まれ。昭和6年九州歯科医専(現九州歯大)教授兼付属病院長となる。13年日大専門部教授,20年日大教授。アジア歯科医学会会長,日本歯科医学会会長などをつとめた。昭和51年2月24日死去。78歳。和歌山県出身。東洋歯科医学校(現日大)卒,チューリヒ大卒。旧姓亀井著作に「有床補綴学」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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