河ヶ谷村(読み)かがたにむら

日本歴史地名大系 「河ヶ谷村」の解説

河ヶ谷村
かがたにむら

[現在地名]内浦町河ヶ谷・明野あけの

白丸しろまる村の西、白丸川上流にある。正保郷帳に川ヶ谷村とあり、高一二九石余、田七町四反・畑一町二反余、新開高二四石余(免二ツ三歩七厘)。承応三年(一六五四)の能登奥両郡収納帳では草高一三三石余、免四ツ二厘。寛延元年(一七四八)の算用状(垣内文書)は、寛文一〇年(一六七〇)の村御印を享保一三年(一七二八)火事で焼失したため算用場から借りて写したもので、草高一七五石、免四ツ六歩、山役三〇匁、猟船櫂役五匁(退転)、鳥役一匁(出来)となっている。天保郷帳では市之瀬いちのせ村の内として記載される。百姓持高帳(垣内文書)によれば、明暦二年(一六五六)・享保九年・享和二年(一八〇二)・慶応二年(一八六六)の四次にわたる手上高がみられ、百姓数四七人のうち最高持高百姓の垣内家は文化二年(一八〇五)に五五石余であったが、天保一二年(一八四一)には二七石余となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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