朝日日本歴史人物事典 「河喜多真彦」の解説
河喜多真彦
生年:文政1(1818)
幕末期の国学者。姓は藤原,通称を真一郎という。櫪園,作楽居,挙樹園と号した。京都の人。国学を六人部是香に学び,また書もよくした。墓碑銘によれば,「正保遺事」や「高山彦九郎伝」などの尊皇史論をものしたらしいが,生前においてはむしろ『古今墨蹟鑒定便覧』(1848)を初めとする実用的な編著が知られ,雑学者の印象が拭いがたい。明治維新に際して官軍に加わり,近江から伊勢へ進んだが,「流心のすさびの余りに軍令を犯し」て,桑名で斬殺された。京都霊山正法寺に葬る。<参考文献>寺田貞次編『京都名家墳墓録』上
(ロバート・キャンベル)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報