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河喜多真彦 かわきた まひこ

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美術人名辞典の解説

河喜多真彦

国学者。通称真一郎、号は櫪園、作楽園、挙樹園。京都生。六人部是香門人で、国学・史学に精通した。明治維新の際、東征軍先鋒隊に加わるが、軍令に触れ桑名で死す。著書に『鑒定便覧』『近世三十六名家集』等がある。慶応4年(1868)歿、51才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河喜多真彦 かわきた-まひこ

1818-1868 幕末の国学者。
文政元年生まれ。六人部是香(むとべ-よしか)に入門し,国学と史学をまなぶ。「古今墨蹟鑒定(かんてい)便覧」などを編集。明治維新に際し新政府軍先鋒(せんぽう)隊に属したが,軍令違反にとわれ慶応4年1月24日桑名で斬殺(ざんさつ)された。51歳。京都出身。通称は真一郎。号は櫪園,挙樹園。姓は川喜多,川北ともかく。著作に「近世三十六名家集」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

河喜多真彦

没年:明治1.1.24(1868.2.17)
生年:文政1(1818)
幕末期の国学者。姓は藤原,通称を真一郎という。櫪園,作楽居,挙樹園と号した。京都の人。国学を六人部是香に学び,また書もよくした。墓碑銘によれば,「正保遺事」や「高山彦九郎伝」などの尊皇史論をものしたらしいが,生前においてはむしろ『古今墨蹟鑒定便覧』(1848)を初めとする実用的な編著が知られ,雑学者の印象が拭いがたい。明治維新に際して官軍に加わり,近江から伊勢へ進んだが,「流心のすさびの余りに軍令を犯し」て,桑名で斬殺された。京都霊山正法寺に葬る。<参考文献>寺田貞次編『京都名家墳墓録』上

(ロバート・キャンベル)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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