テオドロス2世(読み)テオドロスにせい(その他表記)Tewodros II

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「テオドロス2世」の意味・わかりやすい解説

テオドロス2世
テオドロスにせい
Tewodros II

[生]1818頃
[没]1868.4.13. マグダラ
エチオピア皇帝在位 1855~68)。即位前の名は Kassa。近代エチオピア初の統治者と呼ばれる。エチオピアの諸王国を再統一して一つの帝国にまとめたうえ,国民の忠誠心を中央政府に向けさせるため,エチオピア教会を皇帝の支配下に置こうとした。封建制廃止を目指し,皇帝に忠誠を誓う実績主義の新貴族階級を構想した。貴族出身ではないが,諸侯との戦乱を勝ち抜いて皇帝の座についた。軍隊再編と近代化を望み,必要な武器を入手するため,ヨーロッパ出身の宣教師や冒険家に大砲建造を要請し,イギリスから武器製造の職人を呼び集めた。当時のヨーロッパの記録によれば,その短気な性格や残忍性,野心,軍才,技術力への関心の高さなどから「エチオピアのピョートル1世」と形容されたという。1860年代にビクトリア女王に宛てた親書の返答が得られなかったことなどを理由にイギリスに侮辱されたと感じるようになり,陰謀を企てたとしてイギリス人宣教師や特使を投獄した。これに対しイギリスはロバート・ネーピアが軍を率いて応戦,反皇帝派の貴族らの協力を得て 1868年4月10日,マグダラで攻撃を開始した。自身立場を悟ったテオドロス2世はその 3日後に自殺した。

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改訂新版 世界大百科事典 「テオドロス2世」の意味・わかりやすい解説

テオドロス[2世]
Tewodros Ⅱ
生没年:1818-68

エチオピアの皇帝。在位1855-68年。テオドレTheodoreともいう。即位前の名をカッサといい,北部の有力な一族の出身であったが,父の死後はエチオピア北西部で山賊貴族として暴れまわっていた。1852年に北部州を制圧し,55年までに中部エチオピアの主たるライバルのほとんどを打ち破り,エチオピア教会大主教によりエチオピア皇帝の称号を与えられ,エチオピア再統一の事業を完成させるべく,ガラ族や中部の大勢力であったショア王国をも従え,短期間に再統一事業を成就した。強力な中央集権国家をつくるため,税制改革,おおぜいの常備軍の創設,奴隷売買の禁止などの近代化政策を推進したが,性急すぎて国内の反発をかった。外交的にはトルコに脅威を感じ,ヨーロッパの援助を頼みにしていたが,結局は67-68年にイギリスとの戦いで大敗を喫し,自ら命を断った。
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世界大百科事典(旧版)内のテオドロス2世の言及

【エチオピア】より

…〈親王の時代〉と呼ばれた1769年から1855年までの時期は,国王の権力が最も衰微した時代で,エチオピアは事実上いくつかの小王国に分裂することを余儀なくされた。
[再統一と独立の保持]
 この分裂状態に終止符をうち,国内の再統一を実現したのはテオドロス2世(在位1855‐68)である。彼は本名をカッサといい,ソロモン王朝とは血縁関係になかったが,北西部の山岳地帯から勢力を興して他の豪族を制圧し,討伐のために向けられた皇帝の兵をも撃破して,ついにみずから皇帝の位についた。…

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