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河野禎造 こうの ていぞう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

河野禎造 こうの-ていぞう

かわの-ていぞう

河野禎造 かわの-ていぞう

1818*-1871 幕末-明治時代の医師,農事改良家。
文化14年12月1日生まれ。父に医学をまなび,筑前(ちくぜん)福岡藩医河野家の養子となる。嘉永(かえい)2年(1849)から長崎でシーボルトらに師事し,帰郷後,眼科医を開業。晩年,農事改良にはげみ,各地を巡察して「農家備要」をあらわした。明治4年2月10日死去。55歳。筑前出身。本姓は原田。名は剛。

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朝日日本歴史人物事典の解説

河野禎造

没年:明治4.2.10(1871.3.30)
生年:文化14.12.1(1818.1.7)
幕末維新期の蘭方医,化学・農学者。名は剛,通称は禎造。筑前国(福岡県)糸島郡波多江村の生まれ。医師で国学者原田種彦の3男。父に医業を習ったのち福岡藩医河野家の養子になり,30歳で家督相続。嘉永2(1849)年藩命で長崎に遊学,ファン・デン・ブルックおよびシーボルトより医学,化学を習得。藩の医事,精煉事業の助言をした。『舎密便覧』を藩命で翻訳し,安政6(1859)年出版。十数年間長崎に滞留し帰藩。藩の事業縮小で失職。しかし厚生済民思想に燃え,50歳のとき農作の改良をめざし各地を巡察。農作法に洋式も入れた『農家備要』前編5巻を明治3(1870)年に出版。死の直前は京都府権参事であった。<参考文献>宗田一「河野禎造と舎密便覧」(『蘭学資料研究会報告』113号)

(菅原国香)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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