朝日日本歴史人物事典 「河野禎造」の解説
河野禎造
生年:文化14.12.1(1818.1.7)
幕末維新期の蘭方医,化学・農学者。名は剛,通称は禎造。筑前国(福岡県)糸島郡波多江村の生まれ。医師で国学者原田種彦の3男。父に医業を習ったのち福岡藩医河野家の養子になり,30歳で家督相続。嘉永2(1849)年藩命で長崎に遊学,ファン・デン・ブルックおよびシーボルトより医学,化学を習得。藩の医事,精煉事業の助言をした。『舎密便覧』を藩命で翻訳し,安政6(1859)年出版。十数年間長崎に滞留し帰藩。藩の事業縮小で失職。しかし厚生済民思想に燃え,50歳のとき農作の改良をめざし各地を巡察。農作法に洋式も入れた『農家備要』前編5巻を明治3(1870)年に出版。死の直前は京都府権参事であった。<参考文献>宗田一「河野禎造と舎密便覧」(『蘭学資料研究会報告』113号)
(菅原国香)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報