河間献王(読み)かかんのけんおう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「河間献王」の意味・わかりやすい解説

河間献王
かかんのけんおう

生没年不詳。中国、漢(かん)の景帝(けいてい)の第3子。姓は劉(りゅう)、名は徳(とく)。献王の献は諡号(しごう)、王は封称(ほうしょう)。学問、なかでも古文を好み「実事求是」をモットーとした。善書を探してはこれを筆写し、真本を手元に置き、複本金帛(きんぱく)を添えて返した。国中の学者は、喜んで先祖の旧書を献上した。集めた書は先秦(しん)古文の旧本が多く、『周官』『尚書』『礼経』『孟子(もうし)』『老子』や、『毛詩』『左氏伝』などがあった。礼楽の徒であり、衣冠、起居動作、いついかなるときにも儒者の風を持し、山東の儒者の思慕するところとなった。のちに武帝の策問にたちどころに答え、帝の感情を損ない、帰国後は飲酒逸楽し生を終えた。『論語』河間七篇(へん)本は『論語』のもっとも古い形とされる。

[大久保隆郎 2016年1月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む