油町三丁目(読み)あぶらまちさんちようめ

日本歴史地名大系 「油町三丁目」の解説

油町三丁目
あぶらまちさんちようめ

[現在地名]南区長堀橋筋ながほりばしすじ二丁目・島之内しまのうち二丁目

油町二丁目の南に続き、町域は三津寺みつてら筋までの一町分と同筋南の半町分。元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数三一・役数三八役で、うち年寄分一役が無役。年寄は平野屋吉兵衛。勧化三〇町組の一町で、嘉永二年(一八四九)の坪数高年番定帳(大阪市立中央図書館蔵)によると坪高二千七一〇坪、惣年寄分・町年寄分を引いた二千五九〇坪が負担坪数。勧化年番は南紺屋みなみこんや町とともに戌年(嘉永三年)。延享版「難波丸綱目」には淡路国問屋として銭屋四郎兵衛がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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