島之内(読み)しまのうち

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

島之内
しまのうち

大阪市中央区西部の地区。北は長堀通り (国道 308号線,旧長堀川) ,南は道頓堀川,東西は阪神高速環状線 (旧東横堀川と旧西横堀川) に囲まれる。近世,大坂城下町の形成に際し,船場とともに開発された大阪の代表的な商業中心地。西部の心斎橋筋は大阪の中心商店街として有名。道頓堀に沿う宗右衛門町一帯は料亭やバー,キャバレーなどが並び「ミナミ」の繁華街の一環をなす。

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百科事典マイペディアの解説

島之内【しまのうち】

大阪市中央区の地名。江戸時代には北は長堀川,南は道頓堀川,東は東横堀(ひがしよこぼり)川,西は西横堀川に囲まれた地域を呼んだ。大坂夏の陣後の1615年大坂城主松平忠明による復興が始まり,当地でも安井・平野両家による開発が進み,遊所や芝居興業が許可された。1703年には茶屋御免の町が9町あった。歌舞伎役者の住む町も多く,1872年には24町にも及んだ。船場(せんば)の〈商いどころ〉に対し〈粋どころ〉と呼ばれ,ミナミ・江南・南江・南州・南陽・陽台・崎陽(きよう)の異名があった。現在もミナミの繁華街。
→関連項目大阪[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

しまのうち【島之内】

大阪市中央区内の地名。東は東横堀川,西は旧西横堀川(1931埋立),南は道頓堀川,北は旧長堀川(1933埋立)に囲まれた地域をいう。平安時代末期または鎌倉時代初期のころ,石清水八幡宮寺領の三津寺荘が立荘されたが,石山合戦(1570‐80)のとき,織田信長の軍勢により御津八幡宮,三津寺はじめ民家にいたるまで焼掠され,住民は四散したという。やがて豊臣秀吉の大坂築城にともない,船場(せんば)とともにようやく開発されはじめ,1585年(天正13)には東横堀川,1600年(慶長5)ごろには西横堀川が完成した。

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大辞林 第三版の解説

しまのうち【島之内】

大阪市中央区南部の地名。各種問屋が集中し、船場とならぶ商業地区。

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日本の地名がわかる事典の解説

〔大阪府〕島之内(しまのうち)


大阪市中央区南西部の商業地区。南は道頓堀(どうとんぼり)川、北・東・西は埋め立てられた長堀(ながほり)・東横堀・西横堀で区画される。北側の船場(せんば)とともに、大坂城下町の商人町として発展。商店街の心斎橋(しんさいばし)筋や歓楽街の宗右衛門(そうえもん)町などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

島之内
しまのうち

大阪市中央区の南部の地域。江戸時代の大坂三郷(さんごう)の一部で、北接する船場(せんば)とともに大阪を代表する商業地区。北は長堀(埋立て。国道308号)、南は道頓堀(どうとんぼり)、東は東横堀、西は埋立てられた西横堀(ともに高速道路高架下)に囲まれた地域で、船場の下町的性格をもつ。西部の心斎橋筋は商店街で、東部の堺筋(さかいすじ)はオフィス街、東西の町筋には問屋が多い。宗右衛門(そうえもん)町は花街である。[樋口節夫]

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