島之内(読み)しまのうち

精選版 日本国語大辞典 「島之内」の意味・読み・例文・類語

しまのうち【島之内】

(周囲運河がめぐり、島に似ているところから) 大阪市中央区の地域名。東西南北東横堀川西横堀川(埋立)、道頓堀川長堀川(埋立)が囲む。船場(せんば)と並ぶ大阪の代表的な問屋街で、繁華街心斎橋筋がある。江戸時代には岡場所もあった。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「島之内」の意味・読み・例文・類語

しまのうち【島之内】

大阪市中央区の地名船場せんばの南にあり、表堀川・道頓堀川・東横堀川・西横堀川に囲まれた地域。問屋が多い。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「島之内」の解説

島之内
しまのうち

北は長堀ながほり川、南は道頓堀どうとんぼり川、東は東横堀ひがしよこぼり川、西は西横堀川に囲まれた地域。島之内の地理的な区画は元和八年(一六二二)長堀川の完成をもって出来上ったが、同川と道頓堀川との間の農地は、その西部地域が同六年秋に市街地に転換されており(御津宮文書・成舞家文書)東部も同時に開発されたと推定される。大坂では一般に南北の通りを「筋」、東西の通りを「通」といったが、島之内では様子が異なっていた。東西の通りを北から列挙すると、鰻谷うなぎだに通・九之助橋くのすけばし(御池橋)通・清水町しみずまち筋・周防町すおうまち筋・八幡はちまん筋・三津寺みつてら筋となっていて、通の代りに筋という呼び方になっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「島之内」の意味・わかりやすい解説

島之内 (しまのうち)

大阪市中央区内の地名。東は東横堀川,西は旧西横堀川(1931埋立),南は道頓堀川,北は旧長堀川(1933埋立)に囲まれた地域をいう。平安時代末期または鎌倉時代初期のころ,石清水八幡宮寺領の三津寺荘が立荘されたが,石山合戦(1570-80)のとき,織田信長軍勢により御津八幡宮,三津寺はじめ民家にいたるまで焼掠され,住民は四散したという。やがて豊臣秀吉の大坂築城にともない,船場(せんば)とともにようやく開発されはじめ,1585年(天正13)には東横堀川,1600年(慶長5)ごろには西横堀川が完成した。その後15年(元和1)に道頓堀川,25年(寛永2)に長堀川が開削されて,四周を運河によって囲まれ,あたかも島のようになったため,島之内の地名が生じたとされている。もっとも,大坂夏の陣が終わった当時は戦災によって荒廃し,《大坂三郷町中御取立承伝記》によれば,〈今の島之内は荒野にて,八幡も小宮,三津寺も小庵の由〉という状態であったが,1615年大坂城主となった松平忠明は,戦災の復興と市街地の整理に着手し,津村,三津寺,上難波などに散在していた墓地を千日に統合。19年南組惣年寄安井九兵衛は,島之内一円450間四方の市街地化を図り,4年後さらに川八町(宗右衛門町,御前町,布袋町,九郎右衛門町,久右衛門町,吉左衛門町,立慶町,湊町)を開発し,遊所および芝居興行を許可された。これより島之内の市街化は大いに進み,1700年(元禄13)には町数63町,家数1650軒に達し,船場とともに商都大坂の中心として繁栄した。91年(寛政3)には大火のため全焼し,その後1845年(弘化2),58年(安政5),60年(万延1)にも市街地を焼失したが,そのつど復興した。船場を〈商いどころ〉というのに対し,島之内は〈粋どころ〉と称され,大阪ミナミの繁華街のもととなった。現在,中央区の中央部に町名島之内が残されている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「島之内」の意味・わかりやすい解説

島之内
しまのうち

大阪市中央区の南部の地域。江戸時代の大坂三郷(さんごう)の一部で、北接する船場(せんば)とともに大阪を代表する商業地区。北は長堀(埋立て。国道308号)、南は道頓堀(どうとんぼり)、東は東横堀、西は埋立てられた西横堀(ともに高速道路高架下)に囲まれた地域で、船場の下町的性格をもつ。西部の心斎橋筋は商店街で、東部の堺筋(さかいすじ)はオフィス街、東西の町筋には問屋が多い。宗右衛門町(そうえもんちょう)は花街である。

[樋口節夫]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「島之内」の意味・わかりやすい解説

島之内【しまのうち】

大阪市中央区の地名。江戸時代には北は長堀川,南は道頓堀川,東は東横堀(ひがしよこぼり)川,西は西横堀川に囲まれた地域を呼んだ。大坂夏の陣後の1615年大坂城主松平忠明による復興が始まり,当地でも安井・平野両家による開発が進み,遊所や芝居興業が許可された。1703年には茶屋御免の町が9町あった。歌舞伎役者の住む町も多く,1872年には24町にも及んだ。船場(せんば)の〈商いどころ〉に対し〈粋どころ〉と呼ばれ,ミナミ・江南・南江・南州・南陽・陽台・崎陽(きよう)の異名があった。現在もミナミの繁華街。
→関連項目大阪[市]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「島之内」の意味・わかりやすい解説

島之内
しまのうち

大阪市中央区南西部の地区。北は長堀通り (国道 308号線,旧長堀川) ,南は道頓堀川,東西は阪神高速環状線 (旧東横堀川と旧西横堀川) に囲まれる。近世,大坂城下町の形成に際し,船場とともに開発された大阪の代表的な商業中心地。西部の心斎橋筋は大阪の中心商店街として有名。道頓堀に沿う宗右衛門町一帯は料亭やバー,キャバレーなどが並び「ミナミ」の繁華街の一環をなす。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

柿落し

劇場用語。新築劇場の開場興行をいう。昔の劇場は,屋根を柿(こけら)でふき,完成のとき不用の板くずをはき落としたので,この語が生まれたという。...

柿落しの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android