日本歴史地名大系 「沼波庄」の解説 沼波庄ぬなみのしよう 滋賀県:彦根市旧犬上郡地区沼波庄古代の犬上(いぬかみ)郡沼波郷(和名抄)に成立した庄園で、現西沼波(にしのなみ)町・東沼波町を遺称地とする。正応(一二八八―九三)頃の阿波観音寺訴状案(早稲田大学蔵文書)に、京都仁和寺子院円楽(えんらく)寺領として善理(せり)とともに沼波がみえる。長享元年(一四八七)幕府は守護六角高頼を攻めたが、翌二年四月二日京都泉涌(せんにゆう)寺に対し、高頼を退治し押領を排除したので、「沼波庄内観音寺并寺領」の知行を全うするようにとの奉行人連署奉書を発給している(泉涌寺文書)。文亀二年(一五〇二)正月一四日の甘露寺元長宛後柏原天皇綸旨(守光公記)によると、当庄預所職は甘露寺家が保持しており、この綸旨は明応元年(一四九二)家領支証が盗難にあったため発給されたものであった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by