泉興屋村(読み)いずみこうやむら

日本歴史地名大系 「泉興屋村」の解説

泉興屋村
いずみこうやむら

[現在地名]平田町泉興野いずみこうや

砂越さごし村の北にあり、西は天神堂てんじんどう村。天正一九年(一五九一)大町おおまち堰が開削されてから成立した村。当初、泉谷地から移転した二人の農民が村を開き、のち桜林さくらばやし村から兵右衛門・兵左衛門ら五人、堀野内ほりのうち村から勘四郎、天神堂村から与左衛門・与兵衛三之宮さんのみや村から五助が移転した(平田町史)。開村当初、集落は現在地の約五〇〇メートル北の元屋敷もとやしきにあり、上の元屋敷と下の元屋敷に分れていたが、最上川の洪水のため現在地に移転した。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高七二石余。寛永元年庄内高辻帳には和泉興野村とあり高一八八石余。寛保二年(一七四二)の土目録(飽海郡誌)では高一八七石余、免四ツ九分五厘。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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