波多小北庄(読み)はたおぎたのしよう

日本歴史地名大系 「波多小北庄」の解説

波多小北庄
はたおぎたのしよう

嘉元四年(一三〇六)昭慶門院御領目録(竹内文平氏文書)歓喜光かんきこう(現京都市)領のうちに「大和国波多小北庄東北院僧正万里小路大納言師重卿」とある。歓喜光院は鳥羽天皇皇后美福門院藤原得子が永治元年(一一四一)に建立した御願寺で、当庄は美福門院が同院に寄進したものであろう。本家は美福門院、領家は歓喜光院。本家職の相承次第は、美福門院―八条院(鳥羽天皇皇女、母美福門院)春華門院―順徳天皇(後鳥羽上皇管領)―承久の変により幕府没収―承久三年(一二二一)に後高倉院―安嘉門院―亀山院―昭慶門院(亀山天皇皇女)と考えられ、大覚寺統領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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