春華門院(読み)シュンカモンイン

精選版 日本国語大辞典 「春華門院」の意味・読み・例文・類語

しゅんか‐もんいんシュンクヮモンヰン【春華門院】

  1. 鳥羽天皇の皇女昇子。母は宣秋院藤原任子。建久七年(一一九六准三宮。承元二年(一二〇八)順徳天皇の准母。翌年院号宣下。建久六~建暦元年(一一九五‐一二一一

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「春華門院」の解説

春華門院 しゅんかもんいん

1195-1211 鎌倉時代,後鳥羽(ごとば)天皇の第1皇女。
建久6年生まれ。母は宜秋門院。誕生の年に内親王となり,翌年一品(いっぽん),准三宮(じゅさんぐう)。八条院の猶子として養育され,比類ない美しさであったという。承元(じょうげん)2年(1208)順徳天皇の准母として皇后宮となり,翌年院号をうけた。建暦(けんりゃく)元年11月8日死去。17歳。名は昇子(しょうし)。

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世界大百科事典(旧版)内の春華門院の言及

【八条院】より

…その間にも平頼盛,藤原長経などの受領(ずりよう)の寄与により荘園の数はさらに増加し,76年(安元2)2月の前闕の目録(〈山科家古文書〉)には,歓喜光院領17以上,弘誓院(ぐせいいん)領6,智恵光院領1,蓮華心院領4,庁分(女院庁の直接管理する荘分)40がみえ,これに安楽寿院領を加えた荘園群が成立している。八条院は96年(建久7)九条兼実の子良輔に譲った庁分の一部を除き,すべて以仁王の女に譲与したが,1204年(元久1)この女性が死去したため,結局この荘園群は後鳥羽天皇の女で,兼実の女任子を母とし八条院の猶子となった春華門院昇子の手中に入った。しかし春華門院は八条院の後を追うように同じ年(1211)に世を去り,八条院領はその猶子順徳天皇に伝えられ,後鳥羽の管領下に入った。…

※「春華門院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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