…その間にも平頼盛,藤原長経などの受領(ずりよう)の寄与により荘園の数はさらに増加し,76年(安元2)2月の前闕の目録(〈山科家古文書〉)には,歓喜光院領17以上,弘誓院(ぐせいいん)領6,智恵光院領1,蓮華心院領4,庁分(女院庁の直接管理する荘分)40がみえ,これに安楽寿院領を加えた荘園群が成立している。八条院は96年(建久7)九条兼実の子良輔に譲った庁分の一部を除き,すべて以仁王の女に譲与したが,1204年(元久1)この女性が死去したため,結局この荘園群は後鳥羽天皇の女で,兼実の女任子を母とし八条院の猶子となった春華門院昇子の手中に入った。しかし春華門院は八条院の後を追うように同じ年(1211)に世を去り,八条院領はその猶子順徳天皇に伝えられ,後鳥羽の管領下に入った。…
※「春華門院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...