波多庄(読み)はたのしよう

日本歴史地名大系 「波多庄」の解説

波多庄
はたのしよう

大和守源頼親の寄進になる東大寺御油免田五ヵ所の一(橿原市の→高殿庄西喜殿庄。面積は一二町二段、所在は荘号と波多小北はたおぎた庄との関係から現大字市尾いちお小字はたしようとみなしえよう。また康保四年(九六七)尊勝院根本取領員数(東大寺続要録)に「高市郡八多庄」とある。光智の寄進になる荘園もあったものであろう。

鎌倉時代に入ると、東大寺領として崩壊の動きがみられる。弘安八年(一二八五)の顛倒所々(東大寺文書)のうちに「波多庄」がみられる。一方、康治二年(一一四三)太政官牒(東大寺文書)歓喜光かんきこう(現京都市)領「大和国波多庄」がある。


波多庄
はたのしよう

三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)

<資料は省略されています>

とあり、興福寺大乗院領で、同院末寺の正暦しようりやく寺の別院正願院が預所と考えられる。同院五ヵ庄の一であった。寛正四年(一四六三)の諸庄段銭成足帳(お茶の水図書館蔵大乗院文書)には「椿尾波多五町一段歩」と記され、これによると現南・北両椿尾つばお町内に比定される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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