波濃郷
はのごう
「和名抄」高山寺本に「波羅」と記し、訓はない。刊本は「波濃」と記し、これも訓を欠く。
観応二年(一三五一)の足利尊氏感状(筑紫古文書追加)に「周防国羽野荘」とみえ、応永九年(一四〇二)の氷上山興隆寺文書にも「波野郷」とみえるところから、刊本の「波濃」が正しいとする考えが定説になっている。
現田布施町の東部大字波野・大波野は「波濃」の遺名とみられ、この地域をこの郷と考えることに異説はないが、「防長地名淵鑑」は、城南地区(川西・宿井)を除く現田布施町と、現光市室積村の伊保木にわたる一帯にまで郷域を広げている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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