波田の御林(読み)はたのおはやし

日本歴史地名大系 「波田の御林」の解説

波田の御林
はたのおはやし

江戸時代松本藩領の頃設定された平地林で、上波田かみはた村と下波田村の一帯の地域。水利が不便で当時は開発されなかった。明治四年(一八七一)官林に編入され、波多官林の名でよばれたが、現在は畑地である。

「東筑摩郡村誌」には、「波多林官有ニ属シ、東西三〇町、南北平均四町、反別一四四町歩村ノ中央ニアリ、凡テ松樹ノ中木ナリ」とあるが、大木も多かったことは町民伝承によって知られる。

松本藩は領内に御林を設定したが、嘉永七年(一八五四)の波田の御林山廻り太田又左衛門・腰伝左衛門らの出した御取締三ケ村申合(波多腰家文書)があり、上波多・下波多・三溝さみぞ三村が地元の御林について特免をうけ、薪・柴草・枯木・落葉などを採取することを許されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...

国際ブッカー賞の用語解説を読む