波砂間村
はさまむら
牛之浦村の南にあり、海に臨んで納屋場がある。波佐間とも記す。古くは海外交易の拠点で、塩焚を行う竈百姓一〇〇戸があったが、平安時代後期か鎌倉時代かにトンコロリで壊滅的な事態となり、生残った者の多くは嵯峨島に逃れたという。のち四散していた者が再び帰住したとされる。江戸時代は三井楽掛牛之浦村の枝郷と考えられる。元禄八年(一六九五)三井楽の波砂間沖に広東船が漂着、警固のうえ長崎に曳送している(「元禄年間日記抜書」青方文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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