嵯峨(読み)さが

精選版 日本国語大辞典 「嵯峨」の意味・読み・例文・類語

さが【嵯峨】

[1]
[一] 京都市右京区の地名。京都盆地北西部、保津川北岸の地域で、上嵯峨・下嵯峨に分けられる。平安時代から狩猟地に利用され、嵯峨天皇離宮が営まれてのち、貴族の別荘地となる。名勝旧跡に富み、天龍寺清凉寺大覚寺などがある。山城国の歌枕。
※元真集(966頃か)「をみなへしあまた見すててすぎゆかばさがのこころとおもふべきかな」
[2] 〘名〙 「さがぎれ(嵯峨切)」の略。
[語誌]((一)(一)について) (1)挙例の「元真集」のように「さが(性)」と掛けられた例が多い。
(2)秋に結びつけて、「女郎花」「花薄」「萩」などの植物や、「露」「鹿」とともに詠まれた。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

デジタル大辞泉 「嵯峨」の意味・読み・例文・類語

さが【嵯峨】[地名]

京都市右京区の嵐山から御室おむろ付近の地名。清涼寺大覚寺天竜寺などがある。

さ‐が【××峨/険】

[ト・タル][文][形動タリ]山などの高く険しいさま。「―たる孤峰

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「嵯峨」の意味・わかりやすい解説

嵯峨 (さが)

京都市右京区の地名。歴史的には山城国葛野(かどの)郡に属し,嵯峨野と記される場合が多く,東は太秦(うずまさ),西は小倉山,北は上嵯峨の山麓,南は大堰川(桂川)を境とする一帯をいう。平安京西郊外に広がる地域で,東隣の太秦の秦(はた)氏の氏寺である広隆寺にみられるように渡来系氏族秦氏を中心として開発が進められていた。平安時代には大覚寺清凉寺などの諸寺が建立されているし,また王朝貴族にとっては遊覧の地として親しまれた。文学に表現される場合は圧倒的に春が多い。中世にも藤原定家の山荘や寺院が新しく営まれるなど,京都の近郊として発展した。
執筆者: 藤原定家以後も隠棲地としての嵯峨の性格は引き継がれた。1268年(文永5)後嵯峨上皇は大覚寺に入り,さらに亀山・後宇多両上皇も譲位後同寺に住むなどして,この地は嵯峨御所とも呼ばれた。これより先1255年(建長7)に後嵯峨上皇が小倉山東南の亀山山麓に亀山殿(嵯峨殿)を造営した。1339年(延元4・暦応2)足利尊氏,直義が後醍醐天皇の菩提をとむらうため天竜寺創建,室町時代中期には双ヶ丘(ならびがおか)東麓に花園天皇の離宮が営まれるなど,鎌倉・室町両時代にわたり,嵯峨およびその周辺部は天皇の隠棲地として大きな役割をもっていた。一方,室町時代,1426年(応永33)の酒屋交名(きようみよう)には15の酒屋が嵯峨にあったことが記され,97年(明応6)には山国荘(京都府の旧北桑田郡)から出された材木を扱う嵯峨問丸の活動がみえ(《忠富王記》),この材木運送は江戸時代以降も受け継がれる。

 江戸時代には1695年(元禄8)の元禄郷帳嵯峨村として2434石余とあり,1834年(天保5)の天保郷帳では上嵯峨村1495石余,下嵯峨村748石余,小溝村164石余で,3村とも〈古ハ嵯峨村ノ内〉と注記されている。また,たとえば上嵯峨村は大覚寺宮,大聖寺宮,阿野殿家,烏丸殿家,高倉殿家など9ヵ所の所領に分割されている(〈享保14年山城国高八郡村名帳〉)。中世以来の材木運送は,1606年(慶長11)角倉了以の保津川開削によって丹波国からの〈五穀塩鉄材石等〉が嵯峨に集荷され,また桂川(保津川下流)沿いには瑳峨浜,梅津浜,桂浜の3ヵ所の荷揚場に材木屋仲間や薪木屋仲間が成立した。1734年(享保19)の材木商売人名前帳によれば,梅津組6軒,桂組12軒に対し嵯峨組が17軒と多い。また幕末期,1855年(安政2)の木屋仲間名前帳では木屋76軒,扱い薪木約50万束とあり,その活況がうかがえる。1787年(天明7)の《拾遺都名所図会》には〈嵯峨野とは北嵯峨,上嵯峨,下嵯峨の惣名なり今は民家建てつゞきて野とさす所多くはなし〉と,中世から近世にかけての変貌のありさまが記されている。1931年京都市右京区に編入。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

普及版 字通 「嵯峨」の読み・字形・画数・意味

【嵯峨】さが

高くけわしい。清・侯方域〔任王谷に与へて文を論ずる書〕骨を氣に(めぐ)らすは、舟を長江大に縱(はな)つが如し。~(いやし)くも能く操舵覘星し、立亂れずんば、亦た自ら漂(へうでき)の失をるべし。此れ韓()・歐(陽脩)子の、獨り中に嵯峨たる以なり。

字通「嵯」の項目を見る

出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報

百科事典マイペディア 「嵯峨」の意味・わかりやすい解説

嵯峨【さが】

京都市右京区の一地区。ふつう嵐山から御室(おむろ)にわたる丘陵地(嵯峨野)をいう。天竜寺大覚寺,広沢池,大沢池,二尊院,落柿舎,化野(あだしの),祇王寺など史跡や名勝が多く,京都郊外の散策地として有名。近郊農家が多く,製材業も盛んであるが,近年宅地化も著しい。
→関連項目宇太野京都[市]嵯峨人形

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「嵯峨」の意味・わかりやすい解説

嵯峨
さが

京都市右京区の一地区。旧町名。 1931年京都市に編入。保津川が京都盆地へ流れ出て桂川となる地点の左岸に位置し,河岸の沖積平野とその北の広い洪積台地とにまたがる。丹波から筏で流されてくる木材の製材地,集散地として古くから栄え,現在でも製材所が多い。台地上では植木栽培や近郊野菜園芸が行われるが,宅地化も進んでいる。大沢池,広沢池,大覚寺,天竜寺など多くの古刹や史跡,名勝がある。嵯峨釈迦堂の大念仏狂言は重要無形民俗文化財。なお,嵯峨は嵯峨野とも呼ばれ,広義の嵯峨野は嵯峨と同義であるが,狭義の嵯峨野は嵯峨のなかの一区域の名称である。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の嵯峨の言及

【嵯峨院】より

…京都の西,嵯峨に設けられた嵯峨上皇の別荘。嵯峨山荘,嵯峨別館などとも呼ばれた。…

※「嵯峨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

潮力発電

潮の干満の差の大きい所で、満潮時に蓄えた海水を干潮時に放流し、水力発電と同じ原理でタービンを回す発電方式。潮汐ちょうせき発電。...

潮力発電の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android