日本歴史地名大系 「洗竹亭跡」の解説 洗竹亭跡せんちくていあと 茨城県:久慈郡水府村和久村洗竹亭跡[現在地名]水府村和久 館山田川西岸の山麓段丘上にある。徳川光圀が西山(せいざん)荘(現常陸太田市)に隠棲後、その話相手を勤めたという後藤勘兵衛宅の別室跡。光圀は天下野(けがの)・高倉(たかくら)地方巡遊の際は必ず勘兵衛宅に立寄り、度々ここに宿泊した。「和久村勘兵衛旧記抜粋」(「加藤寛斎随筆」所収)に「貞享年中より元禄十三辰迄、西山公様時々御旅館江被為成、十一年程之内所々江被為成候御砌、御供被仰付、尚又度々拝領物仕、只今ニ所蔵仕候御品々左ニ申上候」として「洗竹亭 御巻物一巻 是ハ洗竹亭御涼所ニて花火上覧之御砌御詩歌被為遊候所、家宝ニ致候様ニと被仰付、拝領仕候」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by