玉造(読み)タマツクリ

デジタル大辞泉 「玉造」の意味・読み・例文・類語

たまつくり【玉造】

大阪市天王寺区から中央区の東部にまたがる地名。古代に玉造部が居住した。

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精選版 日本国語大辞典 「玉造」の意味・読み・例文・類語

たまつくり【玉造】

  1. ( 「たまづくり」とも。古代、玉作部(たまつくりべ)が居住していたところから )
  2. [ 一 ] 大阪市中央区の東部から天王寺区の北部にまたがる地域。大阪城の南東部の玉造口となった要所で、奈良街道の起点でもあった。江戸時代岡場所があった。
  3. [ 二 ] 宮城県北西部の郡名。荒雄川(江合川)の上流域を占める。玉造温泉郷鳴子温泉郷)がある。
  4. [ 三 ] 島根県松江市南西部の地名。玉造温泉がある。

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日本歴史地名大系 「玉造」の解説

玉造
たまつくり

現東区東部から天王寺区にかけての広い地域をいい、両区に玉造の地名が残る。平安初期に成立した「上宮聖徳太子伝補闕記」の群書類従本には「川勝進斬大連之頭、少将軍撃平余党、係虜賊首家口、覆奏於玉造之東岸上在東生郡」とあり、また「聖徳太子伝」所収本には「玉造之在東生郡東岸上」と記される(両本とも底本は水戸彰考館本)。これによれば玉造の東方には水面が広がっていたことになる。補闕記の引用文に続けて「即以営為四天王寺、始立垣基」とある。これだけでは、「営」すなわち軍営の所在地は明らかでないが、延喜一七年(九一七)成立の「聖徳太子伝暦」に引く「本願縁起」には「於玉造岸上、始基四天王寺」とあり、伝暦本文にも同文がみえ、四天王寺(現天王寺区)の基礎は「玉造岸上」に置かれたと伝える。なお、同じ伝えは「四天王寺御手印縁起」にもみえる。東区・天王寺区とその東の東成ひがしなり区の境を走る国鉄大阪環状線東側に、北から南に東成区東小橋ひがしおばせ一丁目付近までは江が入込んでいたと考えられ、同地一帯は玉造江と称されたと伝える。「新勅撰集」に載る小野小町の「湊入の玉つくりえにこぐ船の音こそたてね君をこふれど」は同地を詠んだものという。

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改訂新版 世界大百科事典 「玉造」の意味・わかりやすい解説

玉造[温泉] (たまつくり)

島根県東部,松江市の旧玉湯町にある温泉。宍道(しんじ)湖の南岸に近く,JR山陰本線玉造温泉駅の南2kmに位置する。《出雲国風土記》にみられる古い温泉である。凝灰質砂岩のすきまから湧出し,泉質は無色透明の含食塩セッコウ泉,泉温は50~70℃。松江市,出雲大社とのバスの便がよく,観光客も多い。さらに宍道湖南岸にここの湯を引いて新玉造温泉ができた。温泉街近くの玉作湯神社の伝承では,玉造の地名は,三種の神器の一つ,八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)などの多くの玉類がここで作られたことによるという。温泉街の東裏一帯の丘陵地は出雲玉作跡として国の史跡に指定されており,多くの遺物が出土している。北東約2kmの花仙(かせん)山(200m)から採れる,出雲石といわれるメノウを原料として各種の細工ものなどが作られ,みやげ品となっている。
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玉造 (たまつくり)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玉造」の意味・わかりやすい解説

玉造(茨城県)
たまつくり

茨城県南東部、行方郡(なめがたぐん)にあった旧町名(玉造町(まち))。現在は行方市の北西部を占める地域。旧玉造町は、1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)玉川、手賀(てが)、現原(あらはら)、立花(たちばな)の4村と合併。2005年(平成17)麻生(あそう)、北浦(きたうら)2町と合併して市制施行、行方市となった。古く玉造部(たまつくりべ)の居住地といわれ、旧町名の由来となった。霞ヶ浦(かすみがうら)に臨み、行方台地と沿岸低地よりなる。国道354号、355号が通じ、かすみがうら市との間に霞ヶ浦大橋が架かる。JR石岡駅から鹿島(かしま)鉄道が通じていたが、2007年に廃止となった。古代から府中(石岡)と鹿島を結ぶ水陸交通の要地で、大掾(だいじょう)氏、佐竹氏の支配を経て水戸藩領となった。イチゴ、セリ、エシャロットの栽培が盛ん。ワカサギ漁のほか、コイ養殖は全国第1位の産地である。西蓮寺(さいれんじ)の仁王門と相輪橖(そうりんとう)は国指定重要文化財

[櫻井明俊]

『『玉造町十年の歩み』(1965・玉造町)』


玉造(大阪市)
たまつくり

大阪市北部の天王寺区(てんのうじく)、中央区にまたがる地区で、上町(うえまち)台地上の小高い丘が玉造岡である。古代に玉造部(べ)が住み、勾玉(まがたま)づくりを行った。玉造稲荷神社(たまつくりいなりじんじゃ)は、大坂城の守護神として豊臣(とよとみ)家の尊敬を受け、石の鳥居は秀頼(ひでより)が寄進したもの。奈良街道を利用する伊勢参りの出発点で、付近には歴史の散歩道がつくられている。JR大阪環状線、地下鉄長堀鶴見緑地線の玉造駅がある。

[安井 司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玉造」の意味・わかりやすい解説

玉造
たまつくり

茨城県南東部,行方市北西部の旧町域。霞ヶ浦の北東岸にある。 1889年町制。 1955年手賀村,立花村,玉川村,現原村の4村と合体。 2005年麻生町,北浦町と合体して行方市となった。常陸国の国府と鹿島神宮の中間に位置することから水陸交通の要地として発展。主産業は農業で米作のほか,施設園芸が行なわれる。新田付近は霞ヶ浦を利用したコイなどの養殖が盛ん。工業団地も造成される。西蓮寺の仁王門,相輪塔は国指定重要文化財。

玉造
たまつくり

玉作とも書いた。大阪市中東部,大阪城の南東一帯の地区。中央区,天王寺区にまたがる。地名は,古代玉作部勾玉 (まがたま) をつくったところと伝えられることに由来。古くから交通の要地で,江戸時代は奈良街道を利用しての伊勢参詣路の起点としてにぎわった。現在は機械器具,雑貨などの中小規模の工場が立地。

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百科事典マイペディア 「玉造」の意味・わかりやすい解説

玉造[町]【たまつくり】

茨城県霞ヶ浦北東岸,行方(なめがた)郡の旧町。主集落は霞ヶ浦舟運で栄えた。三昧塚(さんまいづか)古墳,西蓮寺(重要文化財)がある。鹿島鉄道が通じる。米作,園芸,エシャロットの栽培が盛ん。2005年9月,行方郡麻生町,北浦町と合併し市制,行方市となる。51.25km2。1万4005人(2003)。

玉造[温泉]【たまつくり】

玉湯[町]

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