和久村(読み)わくむら

日本歴史地名大系 「和久村」の解説

和久村
わくむら

[現在地名]姫路市網干区和久あぼしくわく

たに村の南西に位置し、西は糸井いとい(現太子町)高田たかた村。揖東いつとう郡に属した。長享元年(一四八七)と推定される福井庄村名注文(吉川家文書)福井ふくい庄二八ヵ村の一として和具村とみえる。天正一五年(一五八七)九月二四日の豊臣秀吉知行方目録(木下家文書)には「わく村」とあり、当村の四四三石余などが木下家定に与えられている。文禄四年(一五九五)五月吉日の揖保川井堰絵図(岩見井組文書)には岩見いわみ井堰の末流を利用する村として福井庄和久がみえる。慶長国絵図にも村名がみえる。江戸時代の領主変遷西脇にしわき村と同じ。寛永一三年(一六三六)の龍野領村々高辻帳(八瀬家文書)では池田輝政による内検地高六二七石余、高五一八石余。


和久村
わぐむら

[現在地名]水府村和久

山田川中流の谷幅の広い地にある。北は町田まちだ村。康安二年(一三六二)佐竹義篤が子の乙王丸および御梅局(乙王丸母)に与えた譲状(秋田県立図書館蔵)に「久慈東郡和久村」とあり、文禄五年(一五九六)の御蔵江納帳(同館蔵)には「ワグ」とみえる。寛永一二年(一六三五)の水戸領郷高帳先高にも「和久村」とある。耕地肥沃で貞享元年(一六八四)の田畑租率はともに六割八分と高率であった。村内には初め御立山はなかったが、江戸末期にわずかに白山三反一畝余が設定された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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