改訂新版 世界大百科事典 「洛神賦図」の意味・わかりやすい解説
洛神賦図 (らくしんふず)
Luò shén fù tú
中国,魏の曹植の《洛神賦》(《文選》巻十九)を絵画化したもの。裴孝源(はいこうげん)《貞観公私画史》によれば,曹植から100年ほど下る東晋の明帝の制作になる《洛神賦図》が初唐の時点で存在していたという。現存するものの多くは,しかし,さらに降る東晋の顧愷之(こがいし)との伝称をもち,北京故宮博物院に2点,遼寧省博物館,ワシントンD.C.フリーア美術館に各1点所蔵されているのを挙げることができる。そのいずれも宋(960-1279)の時代の模本とされるが,六朝最大の画家である顧愷之の作風を考えるうえで不可欠のものである。洛神とは,伝説上の皇帝である伏羲(ふくぎ)の女,宓妃(ふくひ)が洛水に溺死してその神となったものをいう。曹植は宋玉の〈神女賦〉などに想を得て,神話的幻想の中での美女との邂逅と別離とを詠いあげている。この賦は,曹植と兄の文帝曹丕(そうひ)の后,甄氏(しんし)との悲恋が,洛神宓妃との交情という形をとって賦され昇華されたものであるとする伝統的な見方がある。
執筆者:小川 裕充
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報